若かりし頃の倉田大輔
─── アマヤドリは2025年1月24日から26日の三日間、吉祥寺シアターにて新作『取り戻せ、カラー』を上演します。それにも出演されるアマヤドリ劇団員の倉田大輔さんに、本日はロング・インタビューを実施し、いろいろとお話をうかがっていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
倉田大輔 よろしくお願いします。
─── 今回は俳優としての倉田さんに迫っていく、という趣旨のインタビューで、アマヤドリと倉田さんのかかわり、みたいなことにはそれほど触れないつもりです。もちろん倉田さんが出演されたアマヤドリの舞台については言及しますけれども。倉田さんの俳優としての土台になっている部分についてお話をうかがっていってから、徐々に具体的な舞台の話に入っていこうかなと考えています。
それではまず、最初の質問です。倉田さんが演劇をつづけていくなかで、広い意味で影響を受けたものは何でしょうか。そう問われて何を思い浮かべるでしょう?
倉田 うーん。僕は中高とそんなに本を熱心に読むような青年ではなかったんですね。最初は、音楽をやりたいという気持ちがあって、ギターを買って自分で鳴らしてみたり、作曲しようとしてみたりしたんですが、当時の、何についても根拠のない自信を持っている青年のときですら、「ミュージシャンは自分には無理だな」っていうことに早々に気づいてしまって。歌を歌うことの才能もないし作曲の才能もないし。その道はすぐにあきらめました。
それとはべつに、僕は子供の頃上の兄弟から「おまえは役者だな」って言われることが多かったんです。それは兄にいじめられたときの僕の反応を見て、嫌味で言われた言葉ではあるんですが、そんな刷り込みもあって、「役者」っていうイメージは自分のなかに昔からあった。それで高校時代にいくつか観た映画のなかで、たとえば『12モンキーズ』のブラッド・ピットの演技を「これは凄いな」と感じたり、ということがあって「役者」って面白いんじゃないかって思うようになりました。
でも当時はインターネットもなくて、役者になるにも情報収集をどうしたらいいかっていうのすら分からなかったんですけれど。ただ、当時高校の図書室に阿佐田哲也の『麻雀放浪記』があって、麻雀知らないながらに読んでみたら、本当に面白くて、こんなに面白いのかって驚いて、それは単に麻雀が面白い、阿佐田哲也という人が書いたものが面白い、というだけではなくて、小説っていうものが、本っていうものがこんなに面白いのかっていう驚きで、そのあたりから、そんなに大した量読んではいないですが、小説なり本なりを読むようにもなりました。だから、僕が文学とかに興味を持つようになったきっかけは、謎に阿佐田哲也なのかもしれません。そこから麻雀もやるようになって、阿佐田哲也の麻雀戦術書を読んだりもして、一時は僕にとってアイドル的な存在でした、阿佐田哲也は。
さらにその高校の図書館にはシェイクスピア全集なんかも置いてあったりして。シェイクスピアは、当時は学校にやってくる演劇団体の上演で観たことくらいしかなかったんですが、でも、ちょっと読んでみるのも悪くないのかなと思って、全集を一通り読んでみたりもしました。だからたぶん、僕が戯曲で一番初めに読んだと言えるのはシェイクスピアですね。それもけっこう面白く読めて。今となっては全然内容覚えてないんですけど。
─── 高校生のときにすでにシェイクスピア全集を通読したことがあるというのは、なかなか珍しいことではないかと思います。あまりやろうと思ってできることではないから。
倉田 その高校は進学校だったんで、ほかのみんなは大学の進学を目指すんですよ、基本。でも僕は高校の途中から、っていうか高校入ったときからもう進学を目指すっていう気はなくなっていて、役者になりたいんだったら、進学のための勉強の代わりに、そういう本も読むべきだって思ってたんでしょうね。
それで、高校の途中から僕はバイト代を全部ついやして、東京の養成所みたいなところに週一で通うようになるんです。月謝を払って。で、そこの講師の人が割合話ができる人だったというか、「倉田、おまえはやる気もあるし、可能性も感じるから、おまえには正直に言うけど……」みたいに言われて。
─── ?
倉田 「ここにだけはいちゃ駄目だ」と。要は、ここは月謝とか入所金とかで成り立っているだけの場所だから、一応オーディション情報とか出演オファーだとかがちょろっと入ってこなくはないけれど、「こんなところにいたら駄目なんだ」っていう話をされて。
─── (笑)
倉田 で、その講師の方がもともと演劇畑の人で、そこで初めて文学座とか演劇集団円とか俳優座とか無名塾といった老舗の団体の存在を知りました。それが高校を卒業して東京に出ようとしているタイミングだったんで、そういうところに入った方がいいんじゃないか、と考えて、結局演劇集団円の養成所に行くことになったんですけれども。円と、たしか文学座とかも受けたのかな? それで文学座は落ちて円には受かったから、そのまま円に行ったっていう流れで。そんな感じで演劇の方にいきなり足を踏み入れることになったんです。もともとは映画をやりたい気持ちがあったわけですが、そうこうしているうちに演劇にはやっぱり演劇なりの面白さがあって、やがて小劇場の人たちともかかわるようになって、アマヤドリにも入って、今に至るという感じですね。
─── プロフィールを拝読すると、舞台歴は2000年から始まっていますね。
倉田 その頃二十歳かな。その前からやってはいましたね。十八とかで、円の養成所に一番年下で入ったりしたので。で、そこで知り合った仲間たちと劇団をつくるかたちになり、しばらくずっとそこでやっていました。七、八回公演をやって、1000越えのお客さんを集めたりもしていたんですけど。その劇団がなくなったタイミングで、たしか、制作さんのつながりで声を掛けてもらって出たのがクロムモリブデンという劇団、加えて、リュカっていう団体と、国民デパリという団体、三団体の合同公演というもので、そのときにクロムモリブデンの人たちとも知り合って、それで一気に小劇場の人たちとのかかわりができました。その流れで広田さんとも知り合った、という感じです。
─── お話をうかがっていると、最初に通った養成所の講師の方が演劇畑の人だったっていうことが、けっこう倉田さんの転機になったのだなと感じます。
それは、倉田さんが演劇の道に入る上での影響の話なわけですが、その後、倉田さんが俳優としての技量を積み上げて行く過程で、大きな影響を受けたと言えるようなものはあるでしょうか? 小劇場の世界に入ってから、さまざまな俳優の方や演出家の方との出会いがあったかと思いますが。
倉田 うーん。難しいですね……。出演する作品ごとに毎度毎度つまずいていたんで、若くもあったし、あがいてもいたので、そのたびに必死に何かを積み上げて行こうとはしてましたが。
若い頃は、もう本当に、ずーっとつねに、何をやるにしても芝居のことを考えていました。今の方が比較的考えていない、って言ったらアレですけど。若い頃は本当に二十四時間ずーっと芝居のことを、何かしら芝居のことに結びつけて考えるということをやっていましたね。
─── たとえば何がどういうふうに芝居に結びついて、どういうことを考えていたのでしょう。覚えておられますか。
倉田 たとえばですけど、普通に生活していて、ご飯を食べるじゃないですか。で、ご飯を食べるにしても、それが舞台の一シーンだったら、映画のなかの一シーンだったらどう見えるか、役者として食べるとはどういうことかっていうのを考えたり。或いは、ただ街なかを歩いているときでも、「こう歩いているとこう見えてしまうのか」「こういう歩き方をすればこう見えるだろうか」とか、そんなレベルでずっと何かの役に結びつけるということをしてました。べつに、実際具体的に役をもらっているときではなくても。何かしら「役として」ということと結びつけて考えていました。
─── 日常の動作一つひとつを、それが舞台上の演技だとしたらどうなるかっていうことをシミュレーションしていた?
倉田 極論そうですね。或いは、結婚式とか、お葬式とかに出席する場合でも、素朴にそこに出席するというだけではなくて、もう一つ自分の後ろに、その場に出席している自分を見る第三の眼を想定して、この状況が役としてきたのであればどう振る舞うのか、とか、今ここ(気持ち)が動いているこれはどういうことなのか、とかっていうことを、つねに第三の眼を通じて見ているっていう感覚ですかね。そういう感覚が本当に日常のどのシーンでもあったなっていう気がします。若いときは、二十代のときはずーっとそんな感じでした。
─── 特定の何から影響を受けたということではなく、ずっと四六時中芝居のことを考えつづけていたということが、今の倉田さんを形成している。
倉田 そうですね。あとはやっぱり、映画好きという方からすれば笑われるレベルですけど、僕は映画が好きで、よく観ているので、そこから知らず知らず盗みつつ……みたいなことはあったと思います。
あと若いときだと、クロムモリブデンの演出家の青木秀樹さんからは、初めて出演したときにかなり厳しくダメ出しされたりとか。その上で青木さんは自分を評価して誘ってくれたりした方で、それは広田さんとか上野〔友之〕さんとかもそうですが、そういう方々からの影響はやっぱり少なからずあるでしょうね。
─── 映画の話ですが、一般の人であれば単純に映画を楽しんで観るというのが普通ですけれど、そこで何かを「盗もう」として観るとき、どういう観方になるのでしょうか?
倉田 うーん。基本的に僕は自分の見た目が好きではないので、自分が好きな俳優っていうと僕自身の見た目とか、雰囲気とかとはかけ離れていることが多いんですね。だからそれを単純に真似しようと思っても無理なんですけど、……たとえば何だろう、僕は若いときからベニチオ・デル・トロが割合好きで、映画のなかでベニチオどんな仕種をしているかなっていうのは、本当にファン心理みたいな感じで注目していて、それこそ、ひょっとこ乱舞の2007年の『銀髪』に出演したときは、誰一人気づいていないですけど、僕のなかでこっそりベニチオの動きを入れたりしてました。
─── (笑)
倉田 そのとき入れてたのはネクタイをゆるめる動きで、それにちょっとベニチオがやっていたニュアンスを加えてみたんですけど。引用したのは『スナッチ』だったかな? もう覚えてないですけど。
─── 2007年の『銀髪』の映像、あらためて観返してみたいと思います(笑)
(つづく)