七月上旬に行なわれた、広田淳一と山代政一によるLINE上でのヴィジュアル会議の一部を公開します!
宣伝美術の話にからんで今回の新作二作品のコンセプトが縦横に語られています。
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広田淳一:今回は久々の新作、しかも二作品の公演ということで、いろいろと新しいことに挑戦したいな、と思っております。作品についてのイメージということで言えば、仮のタイトルではありますが、一応ふたつの作品に別れておりますので、それぞれについて説明したいと思います。
山代政一:書き殴られたのを拝見したのち質問させていただきます!
広田:まずは『崩れる』そして、『青いポスト』という二作品になっているのですが、仮タイトルはもうしばらくこのまま行かせていただければと思います。特に『青いポスト』の方は割りと気に入っているのでこれで本タイトルだと思っていただいて良いです。『崩れる』の方は、似たようなタイトルの雰囲気の映画作品が近頃たくさんあるのでちょっと再考した方がいいのかな、と思っております。
ざっくりと申しますと、
▼『青いポスト』……身体表現メインの台詞の少ないダンス的、あるいは、ポストドラマ的な色彩の強い作品。
▼『崩れる』……「悪と自由」の連作の第四弾とでもいうべきテーマをもった少人数による会話劇、サブテーマとしては「暴力/バイオレンス」ということで行こうかと思っているのですが、DV関連の書籍を読み漁った結果、あんまりDVものはおもしろくねーな、という雰囲気に早くも包まれており、実際の暴力が極限まで出てこないバイオレンスもの、とでもいったようなものを目指したいな、と思っております。
『青いポスト』に関してまず詳述します。
こちらに関しては、自分の過去作品で言えば太宰作品をモチーフに作った『HUMAN LOST』という作品に一番近いものになるのだろうと思います。あんまり複雑な筋立てを持たない、物語劇というよりは風景、情景が主役になるような劇を作りたいと思っています。これは2020年にどう繋がるのか自分でもわかりませんが、たとえば海外の人にうちの作品を見せるとして、東京、という都市、そしてそこに生きる私たち、の情景を見せたい、という意図があります。
もっと具体的に言えば、僕にとっては東京、というか、日本というところは雨の降っている都市、ということがイメージとしてすごく強くあるんです。だから長年自分が愛してきた雨のモチーフというのは今回のこの作品においてもとても大事にしたいな、と思っております。そして、もうひとつの風景として、「工事中」ということが僕の感じている東京という都市のイメージとしてとても重要なものとしてあります。
「工事中」というのはポジティヴなものとネガティヴなものと両面のイメージがあると思うんです。ポジティヴな意味で言えばそれは、「発展中」「常に進化を止めない」「変身するエネルギーに満ちている」「脱皮を繰り返して成長し続ける」みたいなイメージたちです。
山代:はい。
広田:ネガティヴな側面を言えばそれは、「発展途上」「未完成」「落ち着きがない」「安住の地、たり得ない場所」「暗中模索」「常に失敗の尻拭い」とか、そういうことになるのかと。
すごく短文で僕の描きたいモチーフを表現してしまえばそれは、「雨の降っている工事中の町で、届け物をする」という風景です。
山代:割と具体的に出ちゃってますね。
広田:そうですね。割りとはっきりしてます。(ま、どこまで本番に残るのかは僕も知りませんが……)
そう、ここでポストがちょっと絡んでくるわけですね笑 誰かが、誰かに対して何かを届けようとする、ということもこの都市が持っている重要なモチーフだと思っているんです。
まあ、察しのいい山代さんとしてはかなり僕がどんな風景をイメージしているのかもうお分かりいただけたようにも思います。郵便配達のイメージ。ただ、それが本人の望んだ相手に望んだタイミングで届くとは限らない。思わぬタイミングで、思わぬ相手に、思わぬメッセージが届く。あるいは、届けられる、そういう「誤配」のテーマというのもこの中に忍び込ませて、風景を描いていけたらいいなー、なんてことを思っています。
ところで、昨日僕はSさんというちょっと付き合いのあるバレエダンサーの方がやっているマイムの方々が作るダンスの公演を見てきたのですが、それは或る建物をモチーフにしたもので、ほとんど台詞はなく、俳優の身体で見せていく、と。これがまあ、あんまり自分の作りたいものではないな、と思ってしまいまして……。
しかし、自分が作ろうとしていたものを予め作って見せていただいたような感動もあり、その上で、あ、これはやらんでもいいことなのかもしれない、ということを思ってしまったのです。なので、物語的な言語ではないにしてもやっぱり言葉というのはこちらの作品においても大変重要な役割を担っていくんだろうな、と。そんなことを思っているところが、←いまここ、って感じです。
山代:ボクの絵は具体的に日本を指すような舞台装置を描いたりしてないのですが、今回はそういったモノを求めてらっしゃるということでしょうか?
広田:いや、そのあたりはおまかせします。僕としてはリアルな東京の風景を見せたい、と思っているわけでは全然なくて、自分の中に(だけ)あるような情景、そういったものを描ければいいと思っているので、むしろ山代さんなりの東京、あるいは日本、ということであってそれはいいと思います。
逆に、明らかにエジプトだろこれは、みたいなものは確かにあんまり望んでいないのかもしれない、とも思うのですが、まあ、それも含めておまかせします笑
また別の言い方をすれば雨、青いポスト、郵便配達夫、みたいなモチーフってのを割りと僕は透明感のあるブルーなイメージで考えているのですが、そこに対して工事中、というモチーフはある意味でその無機的な透明感のある都市の裂け目、つるんとした白い肌から除く傷口、露出した内蔵、みたいなものであるのかな、とも思っておりましてそれが例えば、動物の体内みたいなものを連想させるイメージであってもいいと思うのです。
山代:今の懸念点としては、ボクが素直に絵を描いた場合の基本スタイルが「洋物アーティスティック」か「和」みたいなとこにあるので、「近代日本」みたいなモノを感じさせたいのかどうかってとこですね……。
広田:僕もあれこれとさだかでないモチーフをあれこれと申しておりますが、これはもう山代さんに絵を描いてもらう上では、具体的指示・指定というよりは、僕がひっくりかえして広げてみせたおもちゃ箱、とでも思っていただければ幸いです。つまり、その中から何を拾ってもらっても自由でいいかな、と。何かとっかかりになる単語がひとつでもふたつでもあれば幸い、ぐらいのつもりでおります。
山代:上で表現されている「工事中」って表現も、分解されたポジネガの印象だけを見ると「変化」の言葉の意味合いとおんなじな気がしてまして、そこをあえて「工事中」と言ってるということはやはり近代日本欲してらっしゃるのかしらみたいに邪推した次第です。
広田:現代日本ではなく、近代日本ってとこがおもしろいですね。そういう二者択一で言えば確かに近代の日本は欲しいと思っている部分が僕としてはあるんだと思います。
さて、しかし何をもって近代、あるいは現代の日本なのか……。
山代:ボクもこうやってインタビューじみた質問ぶつけてはおりますが、いつも通り遊びやすいおもちゃに手を伸ばす所存です!
広田:あ、それはありがとうございます笑
山代:なんだろう……ポストと呼ばれるモノが出現した以降くらいを近代みたいに言ってます。
広田:たとえば、ですが、もちろん山代さん的に近代日本、たとえば工事の風景とか、鉄道網とか、そういったものに何か着想を得てくださってもいいとは思うんです。が、それは路線図をさらに抽象化した線の集合のようなものでもいいのかもしれないし、あるいは、和のテイストと、本当に生物的な動物のテイストみたいなものが融合せずに同一画面上でぶつかっているような構図そのもの、それを指して近代日本の表現といってくださってもいいんだと思うんです。
山代:僕は「現代」よりも広い時間で見てるだけですね。たぶんボクの中で標榜しているアンティークな部分が、「現代」ってワードを拒否っただけです。
広田:自分としてちょっとやりたいなと思っていることとしては、言葉とのつながり、あるいは対人関係、みたいなことでもいいんですが、そういう僕らにとっては当たり前に共有している(と思い込んでいる)ような感覚を、それを共有していない他者に対して伝えたいな、ということなんです。たとえば、海外の人。雨の降らない土地の人。雪景色ばかり続く日常を過ごしている人、などに自分たちはこういう風景の中でこんな風に過ごしている、ということを伝えたい。
それはもっと飛躍して言えば、宇宙人みたいな人、未来人、みたいな人から見た時に、この国のこの時代の人間はどんな「感じ」で生きていたのか、ってことを伝えたいんだと思うんです。
言語によって表現はいつもかなり制約を受けていると僕は感じているので、──「美術」や「音楽」、「ダンス」と比較すると尚更それを痛感するのですが、それを越えて、いつもよりもずっと遠くに存在している誰かにも届くような作品を作ってみたい、と思っているんだと思います。ああ、これはかなり自分がやりたいと思っていることを現時点で言語化し得た気がしますね。
山代:ちょっとハナシ ズレるんですが、2本立てって事は2種類の絵が出来上がる事を想定されてます?
広田:いや、してないです。ふたつの絵の想定。
これも、本当に今日、金魚の展覧会みたいなのに行って考えていたことですが、二本立てでやるならまずはこっちの『青いポスト』が先行上演なんだな、と思うんです。今回の二本立てのメインの、少なくともビジュアル面でのイメージはこちらの作品に重点を置きたいと感じていて、それがぶれることはおそらく無いです。
もうひとつの方の作品はどちらかというと、今までのアマヤドリ的な作品、しかもそれは、『ぬれぎぬ』のような会話に重点をおいた劇に近いものになるだろうと思っています。
山代:何を言わんとしているかというと、上でおっしゃってる立場も環境も違う誰かに届けるというコトが「ポスト」から「崩れる」へ届けるような一枚の絵として書けばいくらか達成できんじゃねーかと漠然と思っただけです。
広田:おおー。
そんなことはまったく考えても見ませんでした……。
山代:じゃあそれはどんな絵だと言われるとまだ何にも無いんですけれど。
広田:それは解釈としては全然アリだと思います!
今、山代さんの言葉を聞いて思ったことですが、確かにそういった想定で『青いポスト』を作った場合、それはきっと、東京でまさにこの上演を観る観客たちにとっては、逆説的に、「ここと似ているけど、決してここではないどこかから、この場所へ向けて届けられた何か」と受け止められる可能性は、あるな、と思うからです。
山代:方向性の違うモノが二本立てになるコトの意味を絵で表現しないと、『太陽とサヨナラ』/『うれしい悲鳴』のときみたいなばっくり別れた絵になってつまんないかな、とか。
広田:太陽/うれしいの時は、あれはあれで呼び合う感覚があって楽しかったですが、そこにより深い呼応関係が生じることに関しては、反対する理由は何も無いです。確かに、あの時より今回の方が二作品の関係性は格段に深いことになると思いますので……。
というのも、なにせあの時は、違う時間軸の中で書いた別々の作品を同時に上演する、ということでしたが、今回は、同時に書いて、同時に上演、ですからね。必然的に稽古場での影響もお互いに及ぼすだろうし、そういうことになるんじゃないかと思います。
山代:ほいじゃあニコイチな絵にしましょう!
で、これはもうどっちでも良いんですが、「崩れる」に具体的な場所/時代設定はあるんですっけ?
広田:『崩れる』の方は『ぬれぎぬ』同様、なんとなく現代日本と地続きの感覚を有しつつも、しかし、完全に現代日本の話、と固定されてしまうような場所にはしたくない、と、これは直感ですが思っています。
おそらく、単にDVの問題にしてしまうと、社会派の劇、とか、社会問題を扱った劇、みたいなものになってしまうと思うんです。もちろんそれはそれで興味深い部分もあるんですが、まあ、自分にとってはそういうことが作品の中で必要以上に大きな位置を占めるべきじゃないと思っている。
『崩れる』において僕が描きたいと思っているのは、人間の暴力性に関してです。それはおそらく所有欲とか独占欲とかいうものと分けることのできない人間の業で、すべての愛情には暴力性がついてまわると思うんです。そこを、実際のフィジカルな暴力にまで発展していく可能性を示しつつ、徹底して言語表現でのぶつかり合いとして書きたい、と思っている。
山代:やっぱ2つを繋ぐ1枚絵として出す方が「両方観なきゃ」感が多少は演出できますかね。
広田:両方観なきゃ感、確かにその方が出ますね笑
山代:「ゲゲゲの鬼太郎」と「地獄先生ぬ〜べ〜」が2本立てでやってるような感覚では観て欲しく無いのですが、そう思わせないのもまぁ、チラシのシゴトですかね……。
広田:そうですね。あくまで二作品やる、ってのはそうなんだと思います。おそらく、片方での再演を地方で、ということは遠からぬ未来に起こることだろうと思いますので……。
山代:太陽/うれしいでビジュアル面が積み残した課題としてはソレですわ……。
広田:そういうポイントを確認していただけたことも収穫ですかね……。僕もあれこれご質問いただいたお陰でかなり自分の考えが進みました。
というか、だいたい今考えていることは書いたような気もします!
(以下略)
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公演情報などは近日公開予定!
乞うご期待!