演技のためのジム、はじめます。(架空対談、前篇)

【架空対談・演技のためのジムってなんですか?】

◆演技のためのジムって、何をする場所なんですか?

 

質問者、エージェント雨天(以下、雨天):えーと、「演劇のためのジム」とやらを始めるとのことなんですが……。

 

回答者、広田(以下、広田):ええ、そうなんです。

 

雨天:「ジム」っていうのはあまり聞き慣れない表現ですが?

 

広田:まあ、スクールでも、スタジオでも、あるいは教室、私塾という表現でもいいんですか、そういった言葉だとどうしても「教える/教わる」という関係が想起されてしまうと思うんです。でも、僕が作りたいと思っている場所は、何かを一方的に教える/教わるような場所ではなく、トレーニングする場所、日々の鍛錬の場所なんです。だから「ジム」という名前にしてみました。

 

雨天:具体的には、どういったことをする場所なんですか?

 

広田:演技の稽古です。

 

雨天:どういった稽古を?

 

広田:ひたすらテキストを使った稽古に特化してやってみようと思います。とにかく、戯曲/脚本の別は問わず、洋の東西も問わず、まあ、たまには自分の書いた戯曲なんかも使って、台詞を使ったシーン稽古をする場所にしていきたいと考えています。

 

雨天:稽古場には演出家・広田が常にいるということですか?

 

広田:そうですね。まあ、いつ急病や交通事故に遭うとも限りませんから「絶対」とは言いませんが、よっぽどのことがない限り、僕がジムには常駐するつもりです。

 

雨天:そこでダメ出しのようなことをしていくわけですね?

 

広田:そういうことになります。ただ、「ダメ出し」という言葉も、なんだか演出家が「あんたダメよ」と言って、俳優が「すみません、直します」という関係性を強化していくようでいまひとつな言葉だと思うんです。演じてもらったあとでそのシーンについて、その演技について、ディスカッションをしていく時間を作るつもりです。そういったディスカッションの力も俳優には必須のものだと考えていますので、稽古を通じてトレーニングしていきたいんです。

 

雨天:台詞の稽古以外のことはやらないんですか? 身体を使ったワークとか、シアターゲームやヴォイス・トレーニングは?

 

広田:基本的には全くやりません。もっぱら台本稽古ばかりをやるつもりです。

 

雨天:なぜですか?

 

広田:それが俳優がより良く演じるための最善の道だと思うからです。そもそも僕は演技というものを、たとえばサッカーみたいなものだと考えているんです。

 

雨天:サッカー、ですか? 

 

広田:演技もサッカーも、基本的なルールがわかっていれば、とりあえずゲームには参加できるじゃないですか? 学校の文化祭なんていい例だと思うんです。演技について専門的な教育なんて何も受けていなくても、とりあえず台詞を覚えて、喋ればいい。

 

雨天:たしかに始めるためのハードルは低いのかもしれませんね……。

 

広田:そうなんです。最初のハードルは低い。だけどサッカー同様、一流の技術を持った人間とそうでない人間が明確にいるわけです。才能の問題も含めて、決して俳優というのは誰でもできるようなことじゃありません。だけど、才能も磨かれなければ光ることはないですからね。今、そういった磨くための場所が、足りないと感じているんです。

 

雨天:俳優がレベルアップしていくための場所にしたい、と?

 

広田:そうですね。演技というのは、単に知識として知っているだけでは出来ませんし、一回できるようになったらずっと出来るというものでもない。そして何よりも、一人では決して身につけられない技術です。

 

雨天:ひとりででもいろいろやれることもあるじゃないですか? 名作台本を口に出してみたり、体を鍛えてみたり?

 

広田:確かに、それも俳優の訓練の一部ですね。ですが、それはひとりでサッカーやバスケットボールの練習をしているようなものだと思うんです。演技の本質はコミュニケーションの中にあると僕は考えているので、究極的には俳優のトレーニングは稽古場でしかできないものなんじゃないかと思うんです。

 

雨天:なるほど。ジムとは言っても黙々と器具と向き合うような場所ではないわけですね。

 

広田:むしろずっと人と向き合う場所になることを目指していきたいと思います。僕は俳優というのは、訓練をしていなければ能力が衰えていってしまう種類の技術だと考えているんです。スポーツ選手だって休んでいれば試合勘が鈍るじゃないですか? 楽器の演奏者だって、バレエ・ダンサーだってそうですよね。俳優も、最前線に立ち続けるためには、たゆまぬ訓練が必要になってくると思うんです。オーディションに通らず現場から離れてしまうようになると、ますますオーディションに受かる確率が低くなってしまう……。そんな悪循環を終わらせる場所を作りたいんです。

 

雨天:それでは、この「演技のためのジム」というのは、演技の基礎練習をやる場になる、ということなんでしょうか? 調整のための場所なんですか? それとも経験者による発展の場ということですか?

 

広田:どれも正解です。それは参加者の方々によって決まっていく部分なのかなと思っています。こちらのやることとしては試合形式の練習、つまり、台本稽古をするための場所/環境を用意しますよ、と。そんな形になるだろうと思っています。

 

 

 

◆どんな種類の演技に取り組む場所なのか?

 

 

雨天:演技にも様々な種類のものがありますよね。ここでは、どういった種類の演技に取り組むんでしょうか? 

 

広田:僕は舞台ばかり作ってきた人間なので、基本的には舞台のための演技になります。それも、いわゆるストレート・プレイと呼ばれる種類のものに取り組むことになります。というのも、それしか僕にできることはないからです。そしてそれは、僕にとって演技の本質に関わることなんです。

 

雨天:具体的に、ジムではどんな種類のテキストを使っていくんでしょう?

 

広田:リアリズム劇の古典が中心になるだろうと思います。たとえばヘンリック・イプセンや、アントン・チェーホフ。ユージーン・オニール、アルベール・カミュ、テネシー・ウィリアムズやアーサー・ミラー、ハロルド・ピンター、ウィリアム・シェイクスピアや、モリエールに取り組むこともあるかもしれません。あるいは岸田國士や、三好十郎、三島由紀夫、山田太一、などに取り組んでいくことになるんだろうな、と。

 

雨天:おお、かなり具体的になってきましたね。

 

広田:もっと近年の日本現代戯曲や、映画のワン・シーンを書き起こして取り組んでみることもあるだろうと考えています。逆に言うと、サミュエル・ベケットやハイナー・ミュラー、サラ・ケイン、エルフリーデ・イェリネクのような作家を取り上げることはひとまず無いんだろうな、と考えています。

 

雨天:どういった基準でセレクトしていくんですか?

 

広田:あくまで僕の考える、ということになりますが、俳優がリアリズムの演技を身につけるためのセレクトにする予定です。それは自然と、現代日本で俳優として活動していくための力が身につくようなセレクトになっていくんじゃないかな、と考えています。

 

雨天:それは言ってみれば「勝てるための演技力」とでもいいますか、俳優として仕事にありつけるようなセレクトを目指す、という意味と捉えていいんですか?

 

広田:うーん、そうと言えばそうですが、少し違います。もちろん僕は小劇場というフィールドで、現役で活動している演出家なわけですから、僕の好み、志向、限界、というものもあると思いますし、それが業界にどう受け止めれられるか、なんていうことは知ったことではありません。どうやったら「売れる」か? なんてことは僕にはわかりませんから、そういったことには取り組めません。僕がやりたいのは、ただ単純により良い演技とは何か? を問うて、それを追求するための稽古です。

 

 

◆どんな演技論、メソッドに基づいて演技に取り組むのか?

 

雨天:より良い演技、といっても人によって何を良しとするのか、価値観は違うと思うんです。そこで、このジムではなにか準拠するメソッドなどがあるんでしょうか? それとも、稽古の基盤になっていくのはあくまで演出家・広田のカン、いわば我流の価値観に基づいた稽古ということになるんでしょうか?

 

広田:その質問に端的に答えるとすると、「そうです、我流です」という答えになるかと思います。

 

雨天:なんだか心もとないような気もしますが……。

 

広田:ただ、もちろん演技というものについて様々な人が積み上げてきた歴史を僕なりに勉強し、時にはその教えを取り込み、時には批判的に継承して、リアリズム演技の発展というものを歴史の中で考えたいという気持ちはあるんです。単に自分のカン、というものに頼って俳優と向き合えるとは思えませんので。

 

雨天:ちょっと専門的な話になっていきそうですが、どうせですから、どういったことをするのか、その歴史とやらの中でやろうとしていることを位置づけてみてもらってもいいですか? 

 

広田:まず、白状しておくと僕は海外にいってリアリズム劇の基礎を学んだ、という経験がありません。また、日本にあるメソード演技などの演技スクールに通ったこともありません。以下に述べることは僕がそれなりの年月、演劇活動をやって、稽古場で延々積み上げてきた経験則と、読書体験との間で生まれた考えです。

 

雨天:本番の数だけはそれなりにやっていますからね、アマヤドリは……。

 

広田:まず、僕はリアリズム演技とか、メソード演技、とかに魅せられて舞台を作っているわけではありません。単に面白い作品が観たい、いい演技が観たい、という自分の芸術家としての感覚に従ってここまで活動してきました。現場において、僕は演出家として俳優にさまざまなオーダーを出すわけですが、そういった行為を繰り返しているうちに、自分なりに追求している演技の本質、というものに気づいてきました。ものすごく単純に言えば僕が創作を通じてやりたいことは「観客に感動してもらって、楽しんでもらいたい」ということに尽きると思うんです。そのために自分が心から感動できる演技を追いかけたい。才能や、天性のカン、華がある、なんていう要素も俳優にとっては厳然とあるとは思うのですが、それでも、やはり演技することはある種の技術論だと信じているんです。才能だけでも、技術だけでもダメ。両方があってはじめて優れた俳優が生まれるのではないかと。

 

雨天:また話がスポーツ選手のようになってきましたね。

 

広田:本質的には一緒だと思っているんでしょうね。僕はまあ、演技の本質を求めてあれこれと本を読んだり、ワークショップにいったりしているうちに、リアリズム演技というものに魅せられていった。で、その根本にはやはりスタニスラフスキーの考え方というのがあると思うんです。寺山修司などは『俳優修業』のことを随分と茶化したりもしていましたが、今の映画演技の基礎・源流のひとつがそこにあることを考えると無視することはできないと思うんです。日本でも現在、マイズナー・テクニックを学ぶためのワークショップなどというのはいろいろあると思うんです。僕はもっぱら彼らの著述と自分の体験を照らし合わせて演技について考えを巡らせて来たわけですが、もちろん彼らの考えから多くの示唆を得られました。特にステラ・アドラーの考えなどには随分と感銘を受けました。が、その一方で、どうも本当かな? と首をかしげてしまうような部分があったことも事実です。

 

雨天:メソード演技を体得したわけでもないのにそれを否定してかかろうと言うんですか?

 

広田:えーと、まあ、言ってみればそういうことです。

 

雨天:ただ、要するに既存の方法論を「教える」場所にはなりえないわけですね。

 

広田:そういったものは目指しません。というのも、本家本元のスタニスラフスキーもそうですが、リー・ストラスバーグにせよ、サンフォード・マイズナーにせよ、ステラ・アドラーにせよ、そういった方々はそれぞれ俳優のための自分のスタジオを持っていて、それぞれの演技指導者が長い年月をかけて俳優と格闘した結果として、なんらかの方法論が生まれていったと思うんです。彼らは既存の方法論に依拠しつつ、新しい何かを探求していった。要するに僕は、長い時間をかけてしかできない、そういった仕事をここで始めようとしているわけです。

 

雨天:では、このジムというのはかなり長期間続けるつもりなんですか?

 

広田:僕は現役の演出家・劇作家でもあるので、もちろん自分の本番期間にはちょくちょく休止を挟むことにはなってしまうと思いますが、継続的にしぶとく、ライフ・ワークとしてやっていきたいと思っています。少なくとも十年、なんだったら命の続く限り続けていきたいと思っています。

 

雨天:まあ、十年以内に命が尽きる可能性もありますが……。とにかく長く続けたいと。

 

広田:はい。リアリズム的なアプローチに自分の信じる演技の本質があると思っているので、そういったジャンルの先人を参考にしつつ、最終的には自分なりの、日本人なりのリアリズム演技の方法論を立ち上げていきたいな、と考えているんです。ミラー・ニューロンの研究もここ数十年で飛躍を遂げたわけですし、カウンセリングの技法も進化しました。脳科学や心理学の知見、それに日本人の国民性や言語的特性といったものも踏まえて、世界で戦える演技の力を持った俳優を生み出していきたい。そのための方法論を築きたい。

 

雨天:なんだかややこしい話になってきましたが……。特殊な演技論をぐつぐつ作っていきたい、ということなんですかね?

 

広田:そういうわけではないんです。我流をつきつめていきたいわけではありません。良い演技というものはいつでもシンプルなものに基づいていると僕は感じていますので、そういうことをやっていきたい。独りよがりの演技論に閉じるつもりはありません。なるべくオープンなジムを作って、自分の考えていることもオープン・ソースのものとして広く共有していきたい。そしていろんな人から広くフィードバックをもらいたい。それがこのジムを開くことの僕の側のメリットです。

 

 

◆なんのための、誰のためのジムなのか?

 

 

雨天:今度は少し、違う観点から質問します。今の日本で演技を学ぶための場所はたくさんあると思うんです。たとえば大学や専門学校、養成所や各種ワークショップ、海外の演技メソッドを教えてくれるスタジオも東京には複数ありますよね? そんな中、どうして劇団であるアマヤドリがジムを開設するんでしょう?

 

広田:それではまず、自分がこういった場所を作りたいと思った経緯、動機について話したいと思います。

 

雨天:お願いします。

 

広田:僕は東京という特殊な場所で2001年に劇団を立ち上げまして、長期の休みもなく継続的に活動を続けてきました。

 

雨天:そうですね。ん、東京のなにが特殊なんですか?

 

広田:ここはとにかく人が多い(笑) 映画やドラマを活動の場にしたいと考えいてる人も含めれば、本当にとんでもない数の俳優志望者が東京には溢れています。おそらく世界的にもすごく珍しい、俳優の卵だらけの町なんじゃないですかね、東京は。

 

雨天:たしかに東京よりも俳優志望の数が多い都市というのは、そんなにたくさんは思い浮かばないですね。 

 

広田:まあ、鈴木忠志さんに言わせれば「あんなところでは芸術は作れない」ということになってしまうのかもしれませんが……。確かに、東京には良い面と悪い面とがあると思うんです。俳優さんをベースに話をすれば、チャンスがいっぱいある反面、それに踊らされてしまう場所だと思うんです。

 

雨天:踊らされてしまう?

 

広田:実際にプロになれるかどうかはわからないですし、多くの卵たちは俳優を生業にして生きていくことは出来ないまま一生を終えるわけです。でも、それを期待してしまう。本来的には経済と芸術というのは不可分のものではないわけです。それどころか、経済効率の追求と芸術の追求は矛盾して当然、とも言えると思うんですね。

 

雨天:まあ、そうかもしれませんね。

 

広田:だけど東京で俳優活動をしていると、なんだかそれが経済的な成功にもつながるようなイメージをもってしまうし、それが目的かのように誤解してしまう。テレビや映画の関係者も東京にはたくさんいるし、劇団の数も多い、演出家もプロデューサーも比較的多くいる場所です。だからこそ、俳優の側からすると、どの演出家・監督・プロデューサーについていくのがいいのか、どの事務所・プロダクションに入るのがいいのか、わからないで右往左往してしまう側面があると思うんです。

 

雨天:でも、いいことじゃないですか? チャンスがたくさんあってたくさんトライできるわけですから。

 

広田:確かにそうなんです。でも、多くの志ある俳優たちが、右往左往しているうちに何も演技について必要な知識や経験を積まずに、目先の仕事に追われて時間を費やしていってしまう姿もたくさん見てきました。で、ひとつのクリエーションを掛け持ちでやっているから、あちらの現場には遅刻して参加、こちらの現場では早退、なんてことが「売れっ子」になるほど起きてしまう。なんだか、もったいないと感じるんですよ。本当にセンスときらめきを持った若い俳優たちが本人の納得いかないような取り組みをしてしまうことは。ひどい場合には演技の経験をちっとも詰めないまま、スケジュールだけは抑えられてしまって無為に時を過ごしている俳優さんとかね……。飼い殺しにする気か! という人も沢山います。

 

雨天:なんだか個人的な恨みがあるような……。

 

広田:無いと言えばウソになります(笑) ただ、これは誰が悪いという話ではなくて、システムの話だと思うんです。俳優さんは事務所に所属してしまうと多くの場合、お金になる仕事、経済的成功につながる仕事を得ることを目指していくわけです。事務所の方々だってボランティアではないのですから、それは当然のことです。そして、自然とCMの仕事であるとか、ワンスポットであれ映像の仕事であるとかにしがみつくことになってしまう。でも、映像の仕事を通じて、現場で演技の力を磨いていくのは、本当に至難の業だと思うんです。

 

雨天:どうしてですか?

 

広田:まず、大きな役を映像のフィールドで掴む、というのはごくごく限られた人にだけ許された特権的なチャンスです。誰もがスター俳優としての幸運をつかめるわけではありません。運と実力とコネクションと、始めるタイミング、そして事務所の方々に恵まれる、とか、いろいろな要素がうまく噛み合わなければいけないわけです。

 

雨天:まあ、そりゃそうですね。

 

広田:中心的な役柄で映画やドラマに関わることができれば、演技についてもしっかりと取り組む時間が取れると思うんです。でも、ほんの少しだけ、ワンシーンだけ出演する、というような形の参加で演技の力を身につけていくのは、僕の感覚からするとはっきり言って不可能なわけです。またしてもサッカーのたとえで言えば、プロの試合にたまに五分間だけ出場する、というような形で選手が実力を延ばしていくことができますか? という感覚なんです。

 

雨天:そういった場合、サッカー選手だったら出場機会を求めてチームやリーグを変えて活動の場を求めますよね。

 

広田:その通りです。もったいないのは、言ってみれば小さい役であれ映像などで出番があったりすると逆に舞台のスケジュールを入れるわけにもいかず、かといって演技の力は身につかず、という立場になってしまって、もどかしい思いをしている、伸び悩んでしまう俳優さんもたくさんいると思うんです。

 

雨天:そういう人たちに演技をする場所を提供したい、と?

 

広田:そういう側面は確かにあります。もちろん、映像なんて最初からなんの興味もない、舞台に興味がある、という方も大歓迎です。プロを目指しているかどうか、なんてことにもこだわりません。それより、僕のエゴとしては、とにかくいい演技ができる、実力のある俳優が増えて欲しいんです。それは自分の創作のためでもありますし、日本にもっといい舞台、いい映画が増えていって欲しいという願いがあります。そのためにもいろいろな立場の俳優さんたちと出会って、稽古場という形にせよ「現場」をともにしたいと感じているんです。そうすることは僕の人生にとって、本当に大きな仕事だと考えているんです。

 

雨天:このジムからアマヤドリに出演する俳優が出て来る可能性もあるということですか?

 

広田:実際そういったこともありました。ただ、そのためのジムではありません。つまり、養成所的なものではまったくない。むしろ逆に、アマヤドリの俳優たちもちょくちょくジムに参加してもらっています。

 

雨天:あ、そうなんですね? じゃあ、応募資格としてはある程度演技経験がある人、ということになるんでしょうか?

 

広田:経験の有無は問いませんが、ある程度モチベーションの有無は問うことになるでしょうね。あくまで演技をするための場所なので、良くも悪くもベタベタした付き合いはナシという雰囲気です。(続く)