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紹介文 – 外側からみたアマヤドリ –

紹介文 外側からみたアマヤドリ


 

各界のみなさまから頂いたアマヤドリの紹介文や過去の劇評などをご紹介しております。

外側からみたアマヤドリとは、一体どんな姿に映っているのでしょうか?

 


 

伊藤今人さま(梅棒ゲキバカ

「パニック仲介ビジネス」 「地上30cmから90cmにだけ音楽が聞こえる世界」 などなど、ドラえもんが大好きな日本人にはたまらない、ハイセンスな「エブリディ・マジック」。 その世界で役者たちが交わす言葉に「嘘」は無い。 1ページ半は当たり前の超長ゼリフ、そして特有のポエム。一つ間違えば違和感だらけになってしまう言葉がすっと入ってくる。これは、体と心のコミュニケーションをとことん磨く特有の稽古があってこそのもの。 そして、ただ盛り上がりのためだけに踊るシーンが存在する腹立たしい作品が溢れる業界において、本当に意味のある「嘘」の無いダンス。 世界、言葉、ダンスに絶妙な量の「嘘」を配合する唯一無二のレシピを持った団体です。

 


 

青木秀樹さま(クロムモリブデン

アマヤドリと名前を変えてからは、「ぬれぎぬ」しか観てない私ですが、その「ぬれぎぬ」が良かった。 まず、風姿花伝で一ヶ月のロングランというのが良かった。わざと?チケット代が安くて良かった。メンバーだけの作品というのが良かった。乱舞してなかったのが良かった。シンプルなセットが良かった。全ての選択に広田さんは勝ってた。たぶん口コミでお客さんは増えたであろう。どんな形でも芝居が打てる集団であることを証明していた。やりたいことだけをやる姿勢だけれど、エンターテインメントでもある。金は要らない。いい作品は要らない。悪態をつきたいだけ。毎回過渡期を迎えたいだけ。毎回旗揚げたいだけ。毎回解散したいだけ。そんな人達だと思うのだけどアマヤドリは。

 


 

 

堤広志さま(編集者・ライター・評論家)

「ネタシアターの秘かな愉しみ」 ひょっとこ乱舞時代から、広田淳一の戯曲は観客を選ぶというよりも、むしろ観客が試されているように思う。なぜなら、そこで扱われている題材(ネタ)が、ライブドア事件、ネトゲ廃人、少女監禁、原発事故と強制立ち退き、死刑廃止論、集団詐欺等々、常に同時代の問題意識を先鋭的に突きつけてくるからだ。ただし、それらのネタは直接的には言及されず、あるいは個別具体的な現実の事例を超えて虚構の世界として描かれるため、ビビッドに反応できない観客にとっては十全に理解することが難しいのである。こうした元ネタを共有できる/共有できないといったリテラシーを前提とした現代的な表現を、私は仮に“ネタシアター”と呼んでいるが、謎が多い分、観劇後にあれこれ考える楽しみ方もできるのではないかと思っている。はたして、あなたはアマヤドリの舞台を見て、どれだけの謎を共有することができるだろうか?

 


 

 

小沢道成さま(虚構の劇団)

どこの劇場に行っても、客席に入った瞬間に〝アマヤドリ〟の世界がもうあって、始まる前からワクワクさせてくれます。 広田さんの描く、あるかもしれない現実と詩的な言葉と、それを体現する俳優たち。 舞台上を駆け走り踊るあの〝群舞〟を見る度に、幸せな記憶や、憧れの風景、懐かしい気持ち、そういったたくさんの感情がどっと呼び起こされます。

 


 

 

『月の剥がれる』祐成秀樹さま(読売新聞社)

“命の尊さ訴える執念” 広田が想を得たきっかけは、11年、12年頃に続いたチベット族僧侶らの焼身抗議だという。その後、「自爆テロ」が頻発し、紛争に巻き込まれる不安が募っている今の時点で見ると、本作の切実さは増している。広田の創意と構成力に、俳優陣の充実。15年の実りが感じられた。(劇評抜粋)

 


 

 

『すばらしい日だ金がいる』村松太郎さま(慶應義塾大学医学部精神・神経科准教授)

私の周りの精神科医やカウンセラーにも見せたい。大変リアリティがある。(ポストパフォーマンストークより)

 


 

『ぬれぎぬ』谷賢一様さま(劇作家・演出家 DULL-COLORED POP主宰)

今、生きて、文明社会を築いている人間は、すべて「悪いひとたち」の子孫である。誰しもの中に、「悪いひとたち」の血は、流れている。『ぬれぎぬ』では、人が「悪いこと」に踏み出す瞬間をいくつも描いていますね。そしてむしろ、そんな「悪いこと」が実は、愛だったり、家族だったり、自分の信じる思想だったり、社会のためと思っていたり、あるいはもっと素直に正義だったりから生まれる瞬間を描いている。でもそんな、シンプルな、まっすぐなことを、広田淳一が書くかな、と疑問にも思う。僕の知ってる広田淳一は、もっとひねくれた奴だ。へその曲がった奴だ。世間に流布している底の浅い考えを叩き潰すことにかけては、手加減も遠慮も知らない、言葉の武闘派みたいな奴だ。普通の人が犯罪者になる瞬間の犯罪心理を描く、それだけのはずもあるまい。とも思います。僕もずいぶん、へそ曲がりな奴ですね。でも、何かある気がする。(引用元:Playnote.netより抜粋)