四名の劇団員俳優、河原翔太、相葉るか、
徳倉マドカ、沼田星麻に集まってもらい
広田淳一が提示したテーマに沿って
座談会をしていただきました。
題して“生きる、愛する、演じる”。
(Zoom会合開催:2022年1月下旬)
“Leben”──生きる
─── 本日は2月のアマヤドリの新作公演『純愛、不倫、あるいは単一性の中にあるダイバーシティについて』の出演俳優の方から、河原翔太さん、相葉るかさん、徳倉マドカさん、沼田星麻さんの四人に集まっていただき座談会をしたいと思います。みなさん四人ともアマヤドリ劇団員ですが、司会もわたくし、アマヤドリ劇団員(文芸助手)の稲富がつとめさせていただきます。
全員 よろしくお願いします。
─── さて、アマヤドリではたびたび稽古場で、さまざまなテーマについてディスカッションする場面があります。今回の座談会では、広田さんから受け取ったテーマを参考に、俳優のみなさんとディスカッションをして公開しようというのが主旨になります。もちろん、これらのトークテーマは新作公演の内容に陰に陽に関係してくるはずです。
それでは早速、一つ目の広田からの質問を提示します。「身近な問題──家族、友人、地元、演劇、映画、等々といったこと以外で、あなたが興味を持っている問題は何でしょう?」。まず、河原さんからお願いできますか?
河原 この質問を聞いて、まずぱっと思いついたのが、「日本の性教育の敗北」というフレーズだったんですけど。
─── いきなり尖ったフレーズが飛び出ましたね。
河原 僕はもともと教育系の仕事を目指していたんです。結構本気で英語教師になろうと思っていた。僕が日本の英語教育を変えてやる、ぐらいの志で。
るか すげー。
河原 なので元々日本の教育には関心があったわけですが、それと関連して、日本の性教育って、あまり大っぴらに情報を扱わないから、それで教育を受けても大人になってから苦労することが多いんじゃないか、という問題意識が自分にはあります。男女が互いの性のことを知らなすぎて困る場面が多いと思う。生理についても、もっと日常的な体調不良のように気軽に話すようになればいいんじゃないかと思うものの、現実は全然そういうふうにはならないし。普段生きていて、すごいカセがあるような気がしています。もっと性的な話題を普通に扱えればいいと思うのに実際には上手く扱えない、という場面がいっぱいあって。それは元を辿ると、性教育段階で圧倒的に負けてるんじゃないか、という考えにあるとき至って。学校レベルでも家庭レベルでも性教育が良いかたちで行われていないんじゃないか、ということは数年前から勝手に考えてますね。
─── 河原さんは、性的な話題を扱うこと自体が日本社会全体で上手くいっていないと、感じておられるんですね。
河原 上手くいっている場所が少ない気がします。
るか それはめっちゃそうだなと思う。あたしも結構、ダニエル〔※河原さんのあだ名〕みたいな感じで自分が学校で良い性教育受けてこなかったな、って思うから、めっちゃ共感する。
─── そうなんですか?
るか だって今はなんか、学校が下着の色とか指定してくるじゃないですか。白しか駄目、とか。逆にエロいじゃないですかそれ。仮にあたしとマドカがその中学校で一緒だったら、毎日マドカの下着の色が分かっちゃうことになる。白、なぜなら校則だから。そんであたしも白、ってことになっちゃう。それもうスカートめくりすらする必要ないじゃないですか、だってみんな白って知ってるから。ヤバいでしょと思って。
全員 (爆笑)
るか そういうことも含め、ダニエルと同じで性教育ヤバいなーって思います。
─── 性教育もそうですが、日本の性道徳が硬直化しているせいでそういう変なことも起こるのでしょうね。それとは別に、河原さんへの共感とは別に、るかさん自身が興味を持っている問題ってありますか?
るか 地域活性化。
─── ほう。詳しくお願いします。
るか 去年、静岡県の富士山の近くにある沼津ってところに、たまたま知り合いのご縁で行ったんですね、生まれて初めて。で、そこで驚いたのが、沼津の商店街の色んなところや、自分が泊まったホテルにも、『ラブライブ!』っていうアニメのキャラクターがいるんですよ。なんか沼津の観光大使にも任命されていて。アニメのキャラクターなのに。あたしは一話も観たことがなかったんですが、どうも『ラブライブ!サンシャイン』っていうアニメが沼津をテーマにしていて、設定として沼津が出てくるみたいで、それのおかげで元々沼津に興味を持っていなかった人が沼津に興味を持って、沼津に来てくれるようになったらしいです。沼津の観光業の人にもお会いする機会があって、そんな話を聞きました。たぶん最初から狙ってやったことではなかったと思うんですけど、アニメ作品が地域の活性化になりもするってことが実際あるんだなって、面白かったです。
─── たしかにアニメによる町おこしといった話は、ちょくちょく聞きますね。それのどのあたりにるかさんは興味を持たれたんですか。
るか 物語を鑑賞して感動するとかではなくて、フィクションが現実の地域に直接つながって影響を与えるってことを実感したことがなかったので、それがリアルにあるんだなって思って、面白かったです。こういうふうに物語を、フィクションを活かせるのはいいなって。
─── るかさんとしてはそういう現象に肯定的なんですね。アニメとかあまりご覧にならないるかさんからこの話が出たのは、興味深いですね。……次に、徳倉さんお願いできますか。
徳倉 どうしよう、『ラブライブ!』から話繋げられないです。
─── 繋げなくていいです(笑) そういうゲームじゃないので。
徳倉 ちょっと暗い話になって、恐縮なんですけど。今でも気になるというか、たまに気になって調べてしまうってことが自分にはあって、……死刑制度のことを。昔、中学生ぐらいの頃、「死刑に立ち会った人の話」っていうようなドキュメンタリーを深夜に観て、それに出てくる方が「あれは人間がいていい空間じゃなかった」みたいな話をされていて、印象に残って。その後、折に触れ死刑制度について調べたりしても、どうしてもこう、人が人の命を奪っていいんだってことが不思議で、死刑制度を肯定するような議論を読んでも、納得する気持ちが自分に生まれなくて、例えば(無期懲役では)税金がもったいないというのは私には言えないかな、と考えたりします。だから、いまだに、死刑ってどういうふうになっているのかなってことを、ときどき調べたりしています。死刑執行のニュースが出たり何かあったりするたびに。
─── 死刑が不思議だっていうのは分かります。執行される側からすれば、自分がこれから確実に殺される、っていう状況を受け入れなければいけないわけで、人間が人間に対して行うこととしては、かなり変ですよね。
徳倉 執行する方も。ボタン押す人の気持ちとか考えてしまいます。
─── 死刑については、自分も興味持って調べたことはありました。徳倉さんが継続的に気になるというのも分かる気がします。……次に沼田さんお願いできますか。
沼田 最近で俺自身が顔を真っ赤にして追っていたニュースというと、バルセロナのグリーズマンとデンベレの件ですかね。僕はサッカーが好きなので、日頃からよくサッカー関連のニュースをよく見ているんですが、バルセロナのチームの二人の選手が、日本への遠征時に、日本のホテルスタッフに、スタッフには分からないフランス語で差別的な発言をした動画がネットに上がって、一悶着起こったっていう事件があったんです。あれがすげームカついて。関連するニュースを一時期延々追ってました。
─── どういうところにムカついたんですか?
沼田 自分は海外旅行をよくするんですけど、なんとなくアジア人を小馬鹿にするような雰囲気を感じることは昔からあって、ムカついてはいて、それをまた感じたんです。
─── つまり二人の選手にムカついたということですね。
沼田 まずはそうです。加えて、当時はサッカー界でもBlack Lives Matterの運動が盛り上がった頃で、試合前に選手たちが膝立ちのポーズを取ってBlack Lives Matterへの連帯を示すみたいなことをやっていたのに、そして、選手のなかでも黒人差別に繋がるような発言をした人には罰金だったり、出場停止などの厳しい措置が取られていたのに、この件に関しては少なくともそういう措置はその二選手には取られず、なんでだよ、っていうムカつきもあって。これ、ホテルスタッフが黒人だったら大問題になっていたはずじゃないか? アジア人に対する差別は見逃すのか? ってイライラしながら関連するニュースを追ってましたね。まあ、彼らの生活のなかに、アジア人というのがいまだに浸透していないんだろうなとも思います。移民として、アフリカルーツの人たちっていうのは、サッカー界でも、日常の職場でも大勢いると思うんですが、アジア人はまだまだ身近な存在ではないってことで、こういう現象も起こるんでしょう。
─── 差別批判の基準が普遍的になっていない、ってことにもムカついていたわけですね。海外旅行が好きな沼田さんらしい視点だなと思います。
“Spielen”──演じる
─── 以上、河原さんは性教育の話、るかさんはアニメによる地域活性化、徳倉さんは死刑制度、沼田さんはアジア人差別、というふうにさまざまなことを語っていただきましたが、みなさんは演劇以外のところではそういった関心を持ちつつ、やはりとても多くの時間を演劇に割いていらっしゃる。その振幅について語ってもらうために、ここで広田からの二つ目の質問です。「あなたが演劇をやって得たもの、あるいは失ったものは何でしょう?」。
みなさんも最初は楽しさとか、憧れといったところから演劇を始められたと思いますが、時間を割けば割くほど、なぜ自分は俳優をやっているのか、ということをたびたび問い直し、そのつど自分なりの答えを見つけることが必要になってくるんじゃないかと思うんですね。そういった経験のなかで、得たもの・失ったものは何か、ということを伺いたいと思います。……では、また河原さんからお願いできますか。
河原 そうですね……僕が教師になろうとしていた頃は、それこそ生徒のため、教育界全体のためという意識が強くて、自分が何かを創る面白さとか、自己実現欲求などを直接満たすというよりは、他者の幸福に関与することに幸福を感じていたんですが、大学でちょっと演劇を始めてから、自分自身で何かを創る、達成するっていう面白さに気づいて、こういう自己実現欲求が自分にあるんだなと初めて分かりました。その面白さを追求するようになった先に今の自分があるので、だから、演劇が与えてくれるものというと、演劇っていうのはやっぱり難しいことですが、それをどうやったら上手くできるのか、考えることのうちに面白さや知的好奇心があり、そこにおける喜びというのが、演劇が僕に与えてくれたものかなと思います。
逆に、演劇が僕から奪っていったものっていうと、僕は本当に教育に対する想いが強かったので、ふとしたことでそれが蘇ることはあります。今でも家庭教師のバイトをやっていたりするんですけど、演劇をしていなければ、生徒のためにもっと時間を費やせたはずで、良い授業をするために論文とかをたくさん読んだりできたはずで、本来それができる能力が自分はあったはずなのに、割けるリソースが限られていて、それができなくなっている。本当はそちらの方面に力を割いた方が、僕は多くの人間を幸せにできたんじゃないか。そんなふうに思う瞬間はあります。
僕の友人でちょっと変わったやつがいて、データ関係の会社に勤めているすごい優秀な男で、入社二年目で会社のトップのプロジェクトのチームに入って、周りからも天才だって評価されているし自分でも「俺は天才だ」って言ってるやつなですけど、そいつが、「才能のある人間はその才能を社会のために使わないといけない」「そうじゃないと社会の損失だ」「才能っていうのは個人の幸せや身近な人の幸福のために使われるんじゃ最大限発揮されない。個人の幸福のためのモチベーションで動いているやつは、社会全体の幸福のためのモチベーションで動いているやつに敵うわけがない」ということを言っていて。彼の言うことすべてを理解できたわけではないけど、まあ一理はあるかなと思う。そして、そいつは「河原は、俺と同じタイプの人間のはずだ。河原も絶対何かに対する才能があるし、それを社会のために使わないと社会全体にとって絶対に損だ」って僕に言ってくるんですよ。「河原がそんなんで俺は悲しい」と。
全員 (笑)
河原 「河原が個人の幸せのために演劇をやりつづけるなら、河原は俺と同じタイプの人間じゃなかったってことだから、俺はその話を聞くと悲しいよ」と。たしかに僕は、教育、あるいは教育学の研究とかをして、そいつみたいに生きる道もあったんだろうなって思う瞬間はあって。でも、今はその道にいないということは、自分が選択した結果そうなったわけだから、言わば、演劇によって失ったものでもあると思います。
─── なるほど。河原さんのお話を聞いて思ったのは、たぶんその友人の方というのは、社会全体の幸福ということについて、すでにある程度固まった価値観のある方だと思うのですね。一方、演劇において何が正解か、どうやったら上手くいくかっていう問いに向き合っていくことは、そもそも社会のためとは何なのか、ということをもっと根本に遡って考えていくことに近いと思います。だから両者には、思考の水準のちがいがあると思う。厚生経済学的な思考と、哲学的な思考のちがいというか。そしてその両方を追うことができないからこそ、河原さんの得たもの・失ったものが実感されているのかな、と。……次に、るかさんにお答え願えますか。
るか 演劇で得たもの、失ったもの?
─── るかさんは演劇以外のことにもいろいろ興味を持っていらっしゃる方だと思うのですが、それでも演劇に多くの時間を割くことで、人生を長期的に見たときに、るかさんが得たもの、失ったものは何か、という質問ですね。
るか 失ったものから先に言うと……親戚からの信頼?
─── (笑)
るか これリアルすぎてこういう場で言うのもなんなんですけど、冠婚葬祭のときとかにしか会わない親戚の人に、「大学出てまだ演劇やってるの?」って反応されたり。べつにそれで雰囲気悪くなるわけじゃなくて、まあ女の子だからそれもありかもね、いずれ結婚するんだったらね、好きなことをやるっていいわよね、うんうん、みたいに話は収まるんですが、ちょっとまともじゃないなって見られてる視線を感じるというか。学生時代までは頑張っていていいね、って応援してくれる感じだったんですけど、卒業後は、なんか信頼を失ったなって思います。失っちまったなーって。
─── 親戚というか、身近な血縁の範囲で、表現者のようなことをやっている方はいらっしゃらないのでしょうか。
るか うちの身内ではるかりこ〔相葉るか・相葉りこ〕だけですね。
─── 身近にいればまたちがったのかもしれませんね。信頼を失ったっていうよりは、世間体についての価値観のちがいにすぎない気がします。結婚すべきかどうかみたいなことも含めて。逆に、得たものは何でしょうか。
るか 得たものは……やっぱり生きてる実感がすごい。演劇をやっているあいだは色んなことを濃く味わえてるなって思います。自分はここ二年ぐらいは少し演劇から距離を取っていて、演劇に割く時間を年に一本ペースにして、お芝居していない期間はまるっきりちがう仕事をして、あんまり観劇すら行かなかったりしていたんですけど、そういう期間っていうのは、マラソンみたいに同じことを淡々とこなしていく日常で、演劇の創作期間とは全然ちがうんだなって思う。反対に、演劇をやっているあいだは、非日常感が強いというか、そもそも百人単位の人からの視線を浴びるなんて日常生活にはまずない。登場人物の感情の起伏が激しい戯曲は特に、一言で相手に深刻な影響を与えられるし、動かす事が出来る。お芝居ってやっぱりすごい時間が凝縮されていて、濃密なんだなって思います。そこからの経験、楽しさ、自由さっていうのが自分が演劇から得ているものかな。
─── 日常と非日常って言葉が出ましたけれど、無理矢理先ほどのお話に繋げると、アニメによる観光PRといったことも、日常のなかにフィクションが紛れ込んでくる、非日常的な現象ではありますよね。『ラブライブ!』による沼津の事例にるかさんが注目されたのは、日常と非日常の落差に元々るかさんが敏感だったからかもしれません。
るか 自覚はしてなかったけど、そうかもしれないですね。
─── では次に、徳倉さんにお願いできますか。
徳倉 たぶん、与えられたものは、人間かなって思います。自分は小学校二年ぐらいのとき、お笑い芸人に憧れていた時期がありました。コンビを組みたかった。実際にお笑いをやるっていうよりは、相棒みたいな存在が欲しくて、そのときの友達に声を掛けてノリでやろうやろうみたいに言ってたんですけど、ちゃんとネタを考えたり発表したりとかっていう具体的なことを考えた時に、すぐに相手がそんなに乗り気じゃないぞってことと、ただ、「本当の仲間」みたいな存在が欲しくて自分そういうことを言っていたことに気づいたんです。本当の仲間ってなにって感じですが(笑)。普通の友達ではない、一緒に何かを創る、相方的な存在。でもそれこそ演劇のようなことをやらないとそういう同志的な人っていうのは増えない。一般的な仕事に就いても、友達はできるかもしれないけど、相方的な、同志的な人は、やっぱり演劇をやったりっていうことでしかめぐり合えなくて、だから、演劇が私に与えてくれたものって、そういう人たちとの関係になると思います。
─── その同志的な人との関係は、創作活動を一緒にやったりということでしか作れないとお考えなんですか。例えばスポーツの部活動でも、そういう同志的な関係は生まれそうな気がしますが。
徳倉 スポーツとはまた別かも。何かを創作する仲間、みたいなイメージがあったから。
─── なるほど。では逆に、徳倉さんが演劇によって失ったものは?
徳倉 なんと言ったらいいか分からないんですけど……ずっと逃げてる感覚があります。何から逃げているかも分からないんですけど。普通の仕事だったら何か資格を取ったりとか、ステップアップの道筋がはっきりしているけど、演劇ではそうはっきりとは段階を踏めないから──それが面白いところではあるんですが──本当に将来のことを考えられないというか。将来設計があんまりできない。それが逃げているという感覚になるのかなと思う。たぶん今の状態でも生活をつづけることはできるし、お金がなくても病まないようなメンタルの持ち方とかも分かってきているし、このまま行ける気はするんだけれども、計画は立てられない。失った、ということではないかもしれないけれど、何か逃げている。時に投げやりな気持ちになるのをグッと堪える、そういう戦い方にすこし、削られていく感覚があります。
─── 先ほどおっしゃった徳倉さんが演劇で得た同志関係は、創作活動においてのものということでしたが、創作活動そのものが、一種の賭けというか、こうやればこう成功するみたいなアルゴリズムが成り立ちがたいものですから、徳倉さんが失ったものと得たものというのは表裏一体なのかもしれないですね。……では次に、沼田さんお願いします。
沼田 得たもの……得たものっていう言い方はあんまりしっくりこないですけど、やっぱり演劇をやっていると自分を客観視できるので、というか客観視せざるをえないので、演劇のおかげでだいぶ人間としてまともになったなって思います。
全員 (笑)
沼田 自分の振舞いがどう見られているかっていう意識が、そのままお芝居になるわけですから。もし演劇をやっていなかったら今以上にむちゃくちゃな人間になっていたんじゃないかな。演劇をやって何かを得た云々ではなくて、とにかく、演劇をやっていてよかったなって感じです。
─── 沼田さんが演劇を始めたのは高校生からだったと思いますが、つまり、かなり長いあいだやってらっしゃいますが、演劇をやらなかったご自分っていうのは結構想像できるんですか。
沼田 できますね。結構想像できます。演劇をやっていなかったら確実に「女・酒・ギャンブル」みたいな人生になっていたと思います。
るか えーー!
─── 本当ですか。全然そんなイメージないですよ。サッカーが好きだったり、海外旅行が好きだったりするのに。女、酒、ギャンブル?
沼田 演劇やってなかったら、こんな歳になってまだこんな下品な話しかできないのか、こんなくだらないことにしか興味持ってないのか……みたいな社会人になっていたと思いますよ。
─── では沼田さんが演劇で失ったものなど何もないって感じですか。
沼田 ないですね! 俺が演劇で失ったものはありません!
全員 (爆笑)
─── 演劇万歳、ということで明るく締めてくださってありがとうございます。
るか マジで元気もらうわー。
“Lieben”──愛する
─── さて、三つ目の広田からの質問は、先ほどの「演劇」を「恋愛」に置き換えて、「恋愛が自分に与えてくれたもの、奪っていくものと言われて、何を思い浮かべるか?」です。ようやく新作公演の内容に関係のある質問ですね。とはいえ、プライヴェートな領域に関わってくる質問ですので、そんな赤裸々に語っていただかなくていいですし、言葉を濁してくださってもかまいません。……ではまた、河原さんからよろしくお願いいたします。
河原 恋愛が与えてくれるものに関して言うと、自分の人生観みたいなものについて、めちゃくちゃ真剣に考える機会を多く得られる、ということがあります。僕のなかでは一番人と深く関わるのが恋愛の局面であることが多いです。本音でぶつかり合うことって友人や家族との関係ではそんなに起こらない。友人や家族となら、大体このあたりが妥協点だなというのを見つけるのがお互い難しくない。でも、恋愛となるとそうはいかず、ひたすら語り合うみたいな感じになるので。そのなかで自分の考え方が本当に激しく変化していく。
相手と会っていない時間に自分でいろいろ勉強したりしていると、例えば「愛するって何だろうか」という疑問を抱いて、それについて数冊本を読んだりして、「大体こういうことか」「今の僕にとっての“愛”はこれだ」っていう答えが、一旦出たりはする。出たりはするんですが、でも恋愛って結局相互作用なので、自分がある時点でこれが答えだと思ったことでも、ふたたび相手と関わると、それがあっという間に引っくり返されるんですよ。「僕は愛ってこういうことだと思う」と伝えても、「その考え方は私の実情に合ってない」と言われて、本当にそれはそのとおりなんで、一気に覆されてしまう。そういう脳みそを揺るがされるような経験が多々起こるんですけど、逆に、恋愛がないと、そこまで突き詰めて考える経験もないと思うんですね。愛とは何か、正しさとは何か、とか。そうやって考える機会が自分に与えられることで、とにかく激しく変化させられていく。それが恋愛が与えてくれるものだと思います。
─── 面白いですね。今のは、恋愛とは自己の真実を失う経験であるというお話だったと思いますが、喪失の経験を獲得するというふうに、それだけでもう得るもの・失うもの両方の答えになってますね。
河原 たしかに。あと単純に失うものとしては、時間。やはり時間はどうしても掛かるので。恋愛関係なんてないほうが、同じ八時間で台本読んで過ごした方がよかったんじゃないか、もっと仕事できて有意義だったんじゃないかと思う瞬間もあるんですけど。でも、演劇をやっていく上でも、人間的なこと、哲学的なことを考えなければならないことは多いし、リアルな人間関係が深くあることは、演劇にとっても、人間としても大事なことだと思うので、ときに時間を失ってると感じる瞬間もあるけど、大体そのあとにすぐ思い直します。やっぱりこれは必要だというふうに。
─── なるほど。それを聞いても河原さんって真面目な方だなあと思います。……では次に、るかさんお願いします。
るか 恋愛だと、失うものはやっぱ時間ですね。時間というか、効率の良さというか。イチャコラしている時間とか、ニヤニヤデレデレしている時間で本の一つでも読んだら賢くなれたのに、みたいな。恋愛で時間と効率の良さを失ってるって思いはあります。逆に、得ているものは気力ですかね。自分にとって、心が動かない事は苦痛だから、愛される事はもちろん、ドロドロのマイナスな気持ちも含めて恋愛で色んな感情を味わえることで、生きるエネルギーを得てるんじゃないかって思う。
─── るかさんのお話だと、失うことがトータルではそれほど深刻ではなさそうですね。得てるものの方が多そうです。
るか あんまり損したなーって思ってないかもしれないですね。あたし、人そのものに興味を持つよりも、例えば、あたしがダニエルを好きだとして、ダニエル自身よりもダニエルが興味を持っている英語とかに自分も興味を持つようになることが多くて、恋愛きっかけで世界が広がっていくパターンがよくあります。だから広い意味で恋愛がプラスになることが多いです。自分一人では自分の本棚に一冊の本しかなかったけれど、恋愛のおかげでそれが十冊ぐらいになったなーって。失うものもあるけど、自分の経験値とかは大幅に上がってる気がする。
─── 恋愛っていうのは、失ったものの引き替えに何かを得るみたいな単純な対照に収まらないのかもしれないですね。……次に、同じ質問を徳倉さん、お答え願えますか。
徳倉 そうですね……奪われるのは時間だっていうのは、めっちゃ分かりますけど……。私、何もないときはつねにいつも母親がすごい大好きなんですね。家族が少なくて、母親を一番大事にしたいっていうこともありますが。でも、恋愛すると、恋愛が母親よりも上に来てしまう。それで恋愛しているときに「今この瞬間に母親が亡くなったらすごい後悔するだろうな」とふと思うこともあって。好きになると、もう恋人が最優先になってしまうけれど、あのとき母親に連絡しておけばよかったかもしれないとか、後悔する可能性も考えてしまう。だから実際に奪われてはいないけれど、後悔するかもしれないな、っていう気持ちが恋愛に伴うことはあります。
でも、与えられるものの方が多いという気がします。元々、自分には負けず嫌いな性格っていうのがほぼなかったんです。きょうだいもいなくて、嫉妬とか、相手をズルいと思ったりとか、恋愛するまではほぼ経験することがなかった。恋愛するまで自分が人に嫉妬するなんて思いも寄らなかった。もっと言えば、「もう別れるかも」とか、死にたいほど辛い瞬間を味わったりすることも、恋愛以外ではなかった。もうテレビにトトロが映っているのさえ辛い、みたいな。でも、それでも生きていけるんだみたいなことを知ることができたのも、恋愛のおかげで。だから、絶望もあるけれど、結局生きていけるじゃんみたいな希望を与えてもらってるな、っていうふうに、恋愛については思います。
─── 得たものとしての絶望。たしかに絶望って、「絶望しよう」と思っても経験できるようなものではないけれど、恋愛はそれを与えてくれる、しかも絶望の底からでも一歩踏み出せるような希望についても教えてくれる、ということでしょうか。一聴するとネガティヴに聞こえもしますが……。
徳倉 他の人にはネガティヴに聞こえるだろうなとも思うんですけど、自分的にはすごくポジティヴなんです。
─── 徳倉さんらしい答えだなと思って興味深く聞きました。ありがとうございます。……では最後に、沼田さんお願いできますか。
沼田 恋愛から得たものっていうのは、あれですね、人間のしょーもなさを知れるっていうのがありますね。恋愛関係になったからこそ相手が出してくる一番わがままな部分とか、自分がつい出してしまうそういった部分、「それ言ったらあかん」っていうようなことを口走ってしまったりとか、日常的な、一般的な人間関係ではもうちょっと気を遣って、言葉選んで出てこない部分が、ついつい出てきてしまう。お互い甘えがあるんですかね。お互い無茶苦茶なことを言い合って。僕自身、恋愛の局面でしか出てこないようなしょーもない部分を持っているってことは自覚していますし、恋愛関係でないと見られない相手の言動っていうのもあり、それをきっかけにケンカしたり、あるいは受け入れたり、そういうのを見られるのが、やっぱり恋愛の面白いところだと思います。人間ってこんなもんなんだな、っていう認識が得られる。
─── すごい達観していらっしゃいますね。これまでの三人のお話はどちらかというと一人称的な視点で語られていたと思いますが、沼田さんのは完全に三人称的で。
沼田 そして僕が恋愛によって失ったものっていうのは、シンプルな話です。「自信」ですよ。
るか えー?
沼田 いや、そりゃ失いますよ! 僕もフラれたりなんだり、いろいろありますから。そういうときにはきっちり自信を失っていきますね。基本的に僕は自分が大好きなので。すごく魅力的な人間だなーと自分で思っているので。でもフラれると、ああ、この人にとってはそうではなかったんだな、ってなりますから。
全員 (爆笑)
─── 自分大好き。ここまで堂々と公言する人を初めて目撃しました。
るか 最高だな。
─── 大変沼田さんらしい回答をありがとうございました。
以上、広田の提示したトークテーマにしたがって「生きること、演じること、愛すること」について長々と語っていただきましたが、同じ劇団に所属する俳優でも、四者四様、とりどりの人生観を披露してもらえたと思っています。私も、こんな機会でなければ年齢も、バックボーンもちがうみなさんとこうやってお話をすることはなかったでしょうし、劇団ってやはり一枚岩ではなく、といって単純にバラバラでもなくて、まさに「単一性の中にあるダイバーシティ」というほかないような逆説を抱えていて、面白い集団形態ですね。2月18日からの、出演俳優がみな劇団員で占められている新作公演でも、集団の統一性の強みと、それぞれが自律した個性であるという強みが掛け合わさって良い舞台になればいいなと願っています。
それでは長時間お付き合いいただきありがとうございました。
全員 ありがとうございましたー。
アマヤドリ 20周年記念公演 第三弾
『純愛、不倫、あるいは単一性の中にあるダイバーシティについて』
作・演出 広田淳一
2022年2月18日(金)~27日(日)@シアター風姿花伝
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