『牢獄の森』『うれしい悲鳴』スタッフ座談会

特別企画!

かねてよりアマヤドリと縁が深く
アマヤドリの舞台を支えて下さっている
照明の三浦あさ子さん、
音響の角張正雄さん、
舞台美術の中村友美さん
のお三方にお集まりいただき、
とりどりの話をうかがいました。

ここでしか読めない、
興味深いお話が満載です!

 

✦ 参加して下さった方々 ✦

三浦あさ子さん(照明)
角張正雄さん(音響)
中村友美さん(舞台美術)

 

──── 司会進行の徳倉マドカです。本日は公演を支えてくださっているスタッフの方々にお話をうかがうという趣旨で、長年アマヤドリとかかわりのある照明の三浦あさ子さん、音響の角張(かくばり)正雄さん、舞台美術の中村友美さんにお集まりいただきました。

 まずはお一人ずつ、自己紹介をよろしくお願いいたします。

三浦あさ子  私、三浦あさ子です。照明をやっていまして、アマヤドリ(の前身の「ひょっとこ乱舞」)とのかかわりは2004年からです。それ以来照明として参加したり参加しなかったりでもう二十年ほど経ちました。

──── 2004年の『フナの心臓、メチルの心』という作品からですね。このときすでに角張さんとご一緒に仕事されていますね。

三浦  角張さんとは一緒に長く戦ってきたという感じですね(笑)。

角張正雄  色々ありましたねー。──音響の角張正雄です。『フナの心臓、メチルの心』の一つ前の2004年の『銀髪』初演で、音響のオペレーターとして参加して、その後『フナの心臓、メチルの心』からプランナーとオペレーターを両方やるようになりました。この機会に数えてみたんですけど、プランだけなら三十本ぐらい広田さんとやってますね。プランナーもオペレーターも両方やってる作品は二十三、四本なんですけど。

三浦  そんなにやってるの?

角張  あさ子さんだってそのくらいやってません?

三浦  数えてないから分からない。

角張  二十年近くやっていると、そのくらいはいきますよ。

──── 中村さんは2014年の『非常の階段』(初演)がアマヤドリとの初めてのかかわりになりますね。

中村友美  そうですね。私はお二人よりもかかわっている時間は短くて、ちょうど十年、お二人の半分くらい。しかも「ひょっとこ乱舞」ではなくてすでにアマヤドリに改名してから後のかかわりでした。美術の中村友美です、よろしくお願いします。

──── ありがとうございます。

 それではいくつかの質問に沿って話を進めさせていただければと思います。まず、みなさんが舞台芸術の道を志した経緯、照明・音響・美術といったお仕事を選ばれた動機などについて、うかがってもよろしいでしょうか。

三浦  友美さんは大学の頃から舞台について学んでいたんでしたっけ。

中村  そうです、舞台芸術の学科にいて。

三浦  角張さんは?

角張  結構さかのぼります。中学生の頃、学校新聞の制作をする新聞委員会にずーっと入り浸っていたら、その委員会の先生に──演劇部の顧問でもあったんですが──「暇なのか?」「暇だったら演劇部を手伝わないか?」って誘われたんです。役者はすでに演劇部の子がいたけれど、演劇の大会に出るためには音響、照明、大道具といったスタッフも必要で、それをやらないかって。それがやってみたらすごく面白かったんで、その後高校に入ってから「演劇の音響になりたいです」って放送部と演劇部に入りました。

三浦  そんなに早く自分の進路を決めてたんだ。

角張  中学二年のときですね。そのときスタッフワークをいろいろ手伝った中で音響が面白そうだなと感じて、高校入って一年目からすぐ、9月かな、文化祭の劇みたいなやつで演劇部の音響を担当しました。

三浦  高一で? すごいね。もう十六歳から音響プランやってるんだ。順番で言ったら、角張さんが一番早く進路を決めて、その次が友美さんで、一番遅いのが私かな。私は舞台芸術の方に進むのを決めたのは社会人になってからだから。だから、次は友美さんの話を聞こう。大学に入る前はどうでした?

中村  私はもともと映画好きでした。私は新潟の海と山に囲まれた田舎の出身で、劇場もないところで、そんな土地でエンタメに飢えていたので映画をすごく観るようになったんですね。

 で、当時って大人計画の人たちがドラマや映画をやりはじめた頃で、宮藤官九郎さんがすごく流行ったりしていて、その人たちがやっている「演劇」っていうものにも興味が出てきたので、がんばって田舎から高速バスに乗って新潟市まで舞台を観に行ったりしました。親に車で送ってもらって友達と一緒に埼玉の彩芸まで蜷川さんの舞台を観に行ったこともあります。

三浦  すごい!

中村  だから高校生の頃は演劇に対してはお客さん、完全に観る専だったんですが、でも舞台芸術っていいなって気持ちが芽生えて、ちょうどそのとき朝倉摂さん〔画家・舞台美術家。1922〜2014〕の舞台美術を生で見る機会があって、かっこいいなって感じた上に、朝倉摂さんご自身が新潟までワークショップや講演のためにきてくださって、それをのぞいたりもして、そこで、この人がやっている仕事を自分もやってみたいなって気持ちがちょっと出てきたんですね。

 その気持ちがあったので、大学では色々選択肢があったんですが、最終的には舞台美術をつづけていこうっていうふうになりました。それまでに色々やったんですけれど。二回くらいですが、役者をやったこともありましたし。

──── 役者をつづけることは何かちがうな、と感じられたんですか?

中村  ちがいましたね。もともと観客目線だったせいで、自分は、自分でフィジカルに身体を動かしてっていうよりは、人の話を聞いたり、引いてどう見えるかっていうのを考えるのが好きで、もしかしたらスタッフ──舞台美術、そっちの方が向いてそうだなっていうのは感じていました。

──── 三浦さんは如何でしょうか。

三浦  会社に就職したら、同期でお芝居をやっている人がいて、その人に誘われて小劇場の芝居を観に行くようになったのが最初です。その人が誘ってくれたのが夢の遊眠社だったり第三舞台だったりで。

角張  同期の方もすごい目が肥えてるなぁ。

三浦  だからその時点では私も観る専で、週末になったら小劇場のお芝居を観に行くっていう生活をつづけてたんですけど、その誘ってくれた友人が、今度は自分でやる側でダンスをはじめて。で、その発表会を観に行ったのが、たぶんきっかけですね。それがすごい良かったんですよ。そして「私もこれやってみたいな」って思った。

 でもちょうどそのときに関西に転勤になって。それでも「やってみたい」って気持ちを諦め切れず、関西の方でも学べる場所を探して、ピッコロ舞台技術学校〔兵庫県〕の照明コースに入ったっていう、そういう流れです。いまだにダンスは好きで、仕事もダンスの舞台ばっかりやってますね。広田さんともそこで話が通じた。ダンスがベースにあるというのが、広田さんと長いこと一緒にやることができた要因かもしれません。アマヤドリの舞台も、ダンスがあるのが私にはすごく面白いなって思える部分ではあります。

──── ありがとうございました。

 次に、みなさんのキャリアのなかで印象に残っている出来事、影響の大きかった出来事、転機になった出来事などについて、差し支えなければ、語っていただければと思います。角張さんは如何でしょう?

角張  僕はたぶんシェイクスピアとの出会いが大きかったのかなと思います。

 僕は大学が文学部で、大学では演劇のことを中心に学んでいたんですが、当時はあまりシェイクスピアを面白いと思ったことがなくて。

 でも、大学卒業間際に吉田鋼太郎さんのカンパニー「AUN」からお仕事を頂いたり、二十代の真ん中ら辺に山崎清介さんの「子供のためのシェイクスピアカンパニー〔現:イエローヘルメッツ〕」からお声がかかったりと、立てつづけにシェイクスピアに関わった時に、実際に創ってみるとシェイクスピアってすごい面白いなって思えて。二十代の頃にシェイクスピアをはじめとする古典の仕事をたくさんやれたのは、今の自分にとって大きかったのかなと思います。シェイクスピアとの出会いがなかったら、今はだいぶ違っていたと思う。

──── 今も古典のお仕事の割合は大きいのでしょうか。

角張  そうですね。今度も、戦後日本で10回もやられてないんじゃないかっていうくらい上演機会の少ない、どマイナーなシェイクスピア作品の『シンベリン』の公演にたずさわります(イエローヘルメッツ、東京公演:8月28日〜9月1日)。

三浦  私は、転機っていうのは二回ぐらいあるかな。一回目はわりとこの仕事はじめてすぐ、当時大阪に住んでいたのが東京に引っ越すことになったときです。それで、関西でせっかくはじめた照明の仕事をどうしようってなったとき、関西での仕事をつづけるために、自宅は東京だけど関西にも滞在するっていう二重生活をすることにしたんですね。そのとき完全に東京に移住して照明の仕事を辞めるっていう選択肢もあったんだけれど、それがなくなった。それまでは趣味みたいに思っていたんだけど、そこで自分の仕事として照明をつづけようってなった。それが2000年だから、ひょっとこ乱舞と出会ったときにはもうその二重生活状態でした。今もそれはつづいていて、東京と大阪の二重生活、ダンスの仕事をするため毎月三分の一から半分は大阪に通うみたいな生活が、もう二十四年になります。

 次の転機は2013年。この年は4月にアマヤドリの『月の剥がれる』の初演がありましたが、私はそれに参加しなかったんですね。このとき折悪しく、大きい仕事がアマヤドリの公演時期と被っていて。中村恩恵さんという振付家の方、元NDT〔ネザーランド・ダンス・シアター〕のメンバーでダンサーとしても本当に素晴らしい方で、その方が演出・振付をする舞台の仕事──今はなき青山円形劇場で行なわれるダンス公演だったんですけど、その仕事の話が私のところに来て。このとき、自分は一旦はアマヤドリの『月の剥がれる』に参加するっていう話になっていたんですが、広田さんに相談して、「実はこうこうこういうことがあって、こちらの仕事をやらせて欲しい」と言ったら、広田さんは「いや、三浦さん、それはぜひそっちの仕事をやってください!」と言ってくださって。私が『月の剥がれる』の初演に参加しなかったのはそういう経緯でした。

 自分は、この中村恩恵さんの仕事をやらせてもらえたおかげで、照明の仕事をまだやっていけるなっていう感触を得たんです。その頃結構挫折していたので。これ以上つづけるのは無理かなって思っていたときに、そういう大きい仕事の話が来て。だからあのとき、アマヤドリの公演を差し置いて広田さんから「ぜひやってください」と言ってもらったことは、自分にとって、ものすごく大きな影響があったと思います。広田さんにも恩返ししなきゃなってことで、もう辞められないなっていう気にもなりましたし。

中村  私はまだ転機らしい転機は来ていないんですが……でも、アマヤドリに関したことで言うと、私は、アマヤドリにかかわりはじめてから三年目ぐらいに、子供を産んだんですよ。2016年9月の吉祥寺シアターでの『月の剥がれる』再演のときにちょうど臨月で、公演を挟んで産前、産後みたいな状況で。そのときは、もうこれでしばらく舞台美術の仕事は休みだ、そのあとのことはあとになってから考えよう……という気持ちで、アマヤドリは2017年1月に本多劇場で『銀髪』再々演の予定が決まっていたけど、さすがに参加は無理だろうと思っていました。産まれて二ヶ月、三ヶ月という時期だから。でも、そう思っていたときに、みんなからLINE電話が来て。

三浦  (笑)

中村  なんか居酒屋から電話が掛かって来て。

三浦  私もいたかな?

中村  いましたいました。そのとき、産まれて一週間ぐらいですごく気持ちが落ちていたんですが、それで元気になって。『銀髪』も、やらないつもりだったんですけど、やろうっていう流れになって。

──── へー。

中村  実際、本多劇場は思い入れのある場所ではあって。大学生のとき、それこそ青年団さんの活動とかすごく手伝わせていただいて、それ以外の小劇場の劇団でも、とにかく仕込みを手伝ってタダで本番を観させてもらうっていうことをくり返していたんですよ。お金はないけど芝居を観つづける手段みたいな。

三浦  私も一緒。扇町ミュージアムスクエアどれだけ行ったか。

中村  そのなかで一番最初に手伝いに行ったのが本多劇場だったんです。初めて自分が観る側としてじゃなくて、って言ってもなぐりもちゃんと持てないしただパンチのテープ貼ってるぐらいしかできなかったんですが、結構がっつり手伝いにいったのが、本多劇場で、その初めて手伝いに行った劇場として思い入れがあったから、できないかなっていう気持ちはどこかにあって。で、その居酒屋からの電話で、みんなから「やろうよやろうよ」って言われて。それが良いことなのか悪いことなのかは分からないけれど、やりたいなと思えて。っていうことがあったからずっと仕事をつづけられているっていうのが今にもつながっているかもしれないですね。

 ちょうど出産前後にアマヤドリの仕事をやっているっていうのが大きかったかな。自分の人生的な面でも。その『月の剥がれる』が、吉祥寺シアターでの公演だったので、また久しぶりに吉祥寺シアターでできるのも嬉しいですね。

──── ありがとうございました。

 では次の質問です。お三方は過去のアマヤドリの公演で何度か一緒にスタッフワークを組むことがあったかと思いますが、そのときの想い出、或いはお互いのことで印象に残っていることなど、語っていただければと思います。

角張  がっつり一緒に仕事したっていうことでは、6月の『牢獄の森』が初めてと言ってもいいのかも。あのときは創っている過程から各々の仕事を見ていたから。

三浦  そうそう。ああいうふうに一緒に現場で創るっていうことが普段ほぼないからね。

角張  友美さんの美術プランが広田さんとの長い会議を経てもう大体決まったかな?くらいの段階で僕らは稽古場に行く。

三浦  で、私が稽古場に行っても、角張さんはいるけど広田さんいない、みたいな(笑)。

角張  (笑) 広田さんは家で台本書いてるんで今日は来ませーん、みたいな。だからとりあえず「ダンス曲はこれらしいですよ」っていう話だけ三浦さんとして。

三浦  三人で一緒にやったっていう記憶は、やっぱりこのあいだの『牢獄の森』が強いね。

──── 具体的な現場のことでなくても、お互いの仕事ぶりの印象の話でもよいですけれど。

中村  わりと現場入っちゃうとお互いいっぱいいっぱいで、人のことを見ている余裕はないかもしれないです。

三浦  でも私は、きっかけ合わせのときに角張さんが時間掛かっているとラッキーだと思います。そのあいだに明かり作れるから。「角張さんもうちょっと時間掛けて!」みたいに思ってます。

角張  (笑) まあ、あさ子さんについて言えば、「こっちでどうですかね」って言う広田さんに対して、「いや、ちがいます。こっちです」ってピシャリと返す、みたいなやり取りがあるのを時々見ていて、穏やかでありつつも攻める人だなっていう印象を持っています。あと、あさ子さんは色使いも独特ですよね。前にあさ子さん「私緑色が好きかもしれない」っておっしゃってましたけど。

三浦  いやでも、緑好きなのは広田さんですよ。「広田グリーン」って私呼んでたから。

角張  それはたぶん、あさ子さんが作った部分もあると思います。

三浦  広田さんに対して、攻めてるのは攻めてると思う。こっちが攻めないと攻め込まれちゃうから。こちらが思ってもみないことを提案されると、私の考えたプランのなかでそのあとがつづかなかったりするんですよね。もちろんそれを採用してとても良くなるっていうこともあるんですけど。基本、ちょっとしたことで自分がこっちだなって思ったことは、「いや、こっちの方がいいと思います。おすすめです」って言うようにしています。

角張  僕は僕で音を作っているときに、或る程度「このシーンはこういう明かりが来るのかな」って想像するんですけど、あさ子さんの明かりは大抵それよりもカラフルだったり、逆にとっても薄暗かったりしてます。

三浦  (笑)

角張  本当に暗い明かり、役者さんの顔もぼんやりしか見えない明かりとかが来ると、「来た来た、あさ子さんっぽい明かり来たー!」って思いますよね。だから、あさ子さんだったらここのシーンはすごく暗くしてくるんじゃないかって予想して、音の作り方的にもすごい繊細なイメージにしておこうかな、とかそういうことを考えることはあります。

三浦  それは逆に、そういう音が来たときは私も、「角張さんの音来たー!」って思いますよ(笑)。「じゃあこの明かりでいいってことですよね?」って。

角張  知らず知らずのうちにトスを上げていることはあるかもしれないですね。

三浦  トスを上げられているかもしれない。

──── 興味深いお話です。

中村  今のお二人の話の段階だと、私はもう「おお、こうなるんだ」って驚いて見てるだけなんですけれど。でも、あさ子さんは結構、私が美術を考えている段階で、「これはどういうあれなんですか」って色々訊いてくださるじゃないですか。まだ作品がどうなるのか見えない段階、台本すらない段階で、自分のなかでどうコンセプトを立てていけばいいのかっていうのはいつも苦労するんですけど、そういうふうにあさ子さんが質問を投げてくれることで、自分なりに理由を見つけて、コンセプトの埋まらなさをちょっと埋めていけるところがあって、いつもありがたいことだなって思っています。

三浦  それはね、私も台本が完成してない段階で仕込みを考えなきゃいけないから、セットを頼りにするしかなくて、友美さんがそのセットをどう考えているかっていうのをベースにして、セットのどの位置に人が立つのがいいか、とかを考えて作っていくことが多いんですね。どちらかというとお芝居を見て作るよりセットを見て明かりを作っている感じ。だから、友美さんが考えていること、「なぜここにこれがあるのか」を知ることが、そのセットを活かすことにもつながるし、「これは別の使い方もできるかもね」っていうことを照明的に考えられたりもするわけです。

角張  セットのことで言うとアマヤドリは群舞がある関係上、普通の、リアリズムのセットを組むのではなく空中を飾る美術になることが多くて。それってロビーから客席に入った瞬間にパッと目に飛び込んでくるから間違いなくお客さんの中での作品の第一印象になってるだろうなってことは意識してますね。個人的に広田さんの作品は天井の高い空間──それこそ吉祥寺シアターとか──で映えるなって思っているので、その空間の広さ、余白の広さに意識が行く美術ってすごく合ってるなと思います。

 音作りでもお客さんがお芝居を離れて、或いはお芝居を見ながら物語のバックグラウンドなんかに想いを馳せるような瞬間があるとして、そういうとき空中にある美術がお客さんの想像力の最初の取っ掛かりになるだろうなと予想して、そんな美術がある空間で、どういうふうに音を広げるのがいいだろうか……っていうのは結構考えます。音作りの上で友美さんの美術はすごく意識しているけれど、あらためて何をどうしてるかっていうのは言葉にするのは難しいですね。

──── お互いの仕事が作る上での手掛かりになっているっていうのは、面白い話ですね。役者の立場からは分からないことで。

角張  完成台本があれば一番いい手掛かりなんですけどね(笑)。

三浦  その台本もまた抽象的で。実際の場所を想像しにくいことが多い。だから何人の人がそのときにどの辺りにいるだろうか、ここに一人来るだろうか、どこに一人分のエリアを作ろうか、みたいなことを毎回考えています。

中村  アマヤドリはわりと場所を特定しづらいというのはそうですね。あと、最近は二演目をすることが多くて、さらに具体化しづらくなっている。だから、さっき余白っていう話をしてくださったんですけど、アマヤドリのセットを自分が作るときは、広場を作っている考え方に近いなって思ったりします。劇場のなかにさらにアマヤドリの上演のための広場を作るみたいな。そこに色んな戯曲の登場人物たちが入ってきて、そういう人たちがお芝居をする。そういうものがいいのかなってここ最近は思っています。

角張  なるほど。

──── 今のお話の流れで、次の質問に行きたいと思います。みなさんは演出家としての広田さんの特徴を、どのように感じておられますか? 或いは、広田さんとの付き合いのなかで印象に残っていることなども、語っていただければ。

角張  特徴ね……。台本が遅い(笑)。

三浦  休憩しない。本人が休憩しない。

角張  音楽をめちゃめちゃ聞いてる。

 先ほども言いましたが、僕は『銀髪』で参加したときは本番のオペレーターだけで、次の『フナの心臓、メチルの心』から音響プランにもたずさわるようになったんですが、すでにその頃から台本が遅かったんですね(笑)。で、台本が遅いとどうしても僕の選曲の提案も時間的にギリギリになるし、余裕のなくなった状態で「この曲は嫌です」ってなると広田さんも僕もお互いに苛々するだろうから、「台本を書いている途中で、『今回こういうジャンルの音楽を使うお芝居にしたい』って思った段階でそれを言ってくれれば、僕からCDをドバッと渡すので、それを聞きながら台本を書いて、選曲も広田さんがお願いします」と提案しました。つまり、僕の方では選曲しませんっていうふうに舵を切った。

 そうしたら僕が貸したCDだけでなくもっともっと膨大な数の曲を聞きながら台本を書いているんだなって思うくらい、世界観を音楽から詰めていくみたいなこともされるようになって。結果として良い提案だったのかな、広田さんに向いてたのかなと思います。

──── それをもう二十年近くつづけているんですね。

角張  もちろん自分で選曲される演出家さんは他にもいますが、ご自分の好きな曲や好きなジャンルから選ぶことが多いからか毎回使う曲が似ているなって思うことも多いです。それと比べると、広田さんは作品ごとにめちゃめちゃ色んなジャンルの音楽を聞いているんだろうなっていうのが、印象としてありますね。

三浦  音はいつもすごいですよね。音がいつも頭から離れなくて困るくらい。……それで言うと、照明はどうなのかな。印象に残っているのは、風姿花伝でやった何かのとき、『ぬれぎぬ』の初演のときかな、全部仕込み終わって明かり合わせを初日にしたんですよ、それでもう劇場をあとにしようって思うくらいの時間になって、「三浦さん、……僕、あの、ダークブルーがちょっと苦手なんですよ」って言ってきて。

全員  (笑)

三浦  もう明かり合わせしたのに。でも「なんかやっぱり、ちょっとピンと来ないんですよ」「ダークブルー、使わないと駄目ですか」って言われちゃって。なぜ今さらそれを言うのか……。それ以来もう私ダークブルー仕込んでないです。まず、広田さんってダークブルーでシーンを転換するのが大嫌いじゃないですか。

角張  そうですね。

三浦  それだけじゃなく、ダークブルーを使うことが何か逃げている気がする、っていうふうに、何か彼のなかで思うところがあるんじゃないかって想像するんだけど。

角張  ダークブルーなんて、他所行ったらよく見かける照明の色代表!って感じしますけどね。

三浦  嫌いなんでしょう。もうここ十年くらい、嫌いなんでしょう。それが良いか悪いかということではないですよ。ただ、納得できないことを納得したとは絶対言えない正直な人ではあります、広田さんは。

中村  美術の立場としては、正直に言ってもらった方がぶっちゃけいいなって思うことはありますね。「なんでこれはこうでああじゃないのか」っていうのを広田さんとも話せるようになってきましたし。落とし所も見つけられるようになった。最初はなかなか、「なぜそれがそうなのか」っていうのを私が上手く言葉にできなくて言及できないまま時間が終わる、ってなりがちだったんですけど。

三浦  とにかく時間がなくなることはよくあるね。

中村  でもやっぱり広田さんは、色んなことに興味がある人なんだなっていうのは思います。興味のスピードがすごい。気になること、アンテナに引っかかるポイントがたくさんあるんだろうなというか。とにかくつねに頭が回転している感じがすごいなと思います。私はあんまり会ったことのないタイプの人です。

角張  めっちゃ喋るっていうのはあるかもしれないですね。

三浦  たしかに。めっちゃ喋る。

角張  他の演出家さんと比べると圧倒的に喋るんですよ。圧倒的に喋るし、色んな言葉を尽くしてくれる。さっきのあの「ダークブルーが苦手なんです」からはなかなか想像できないかもしれませんが(笑)。でも伝えるためにものすごく言葉を尽くすし、そのときはたぶん、「ダークブルーが苦手」っていう言葉があさ子さんには一番通じると思ったんでしょうね。

三浦  あと、広田さんはお笑いも好きですね。

角張  お笑いもいっぱい観ている。台本としては硬い、というかギャグがすごくあったりドタバタしたりというふうではないけれど。

三浦  私が関西に引っ越したときによく言われたのが、「人間っていうのは必ずボケかツッコミかどちらかのタイプになってるから」っていうこと。そして、「ボケもツッコミもタイミングが大事で、タイミングを外したら絶対に笑えない」ということ。

角張  広田さんはツッコミでしょうね。

三浦  断然ツッコミですね。しかもちゃんとタイミングを分かっていて、笑わせられるタイミングでツッコめる人ですね。

角張  アマヤドリの劇団内にはツッコミタイプ多いんじゃないかな?

──── どうですかね。結構みんなボケが多いかも。ツッコミは、〔沼田〕星麻さん、〔宮川〕飛鳥さん、広田さんががんばっているかな。

 と、劇団の話が出たところで、次の話題にいきたいと思います。みなさんから見て、現代の演劇シーンのなかでアマヤドリという劇団はどう見えていますか?

三浦  うーん、私はあんまり演劇界にいないから、(ダンスではない)お芝居の照明の仕事をやるっていうことがあまりないから、その質問にはちょっと答えづらいかな。劇団って、ダンスのカンパニーとはまた全然ちがうし。

角張  そもそも劇団が少なくなってきているじゃないですか。プロデュース公演が大多数だから、劇団としてやっていることがそのまま大きな特徴になりますよね。アマヤドリ以降、若い世代で「劇団」としてどんどん劇団員を増やしているような団体って、かなり少ないんじゃないですかね。

三浦  劇団って減ってるんですか?

角張  僕も二十代の人中心の劇団っていうのはそんなに数を知ってるわけじゃないですけど、以前よりだいぶ減った、発生しにくくなったという印象ですね。あとアマヤドリは、役者以外にも宣伝美術とか制作とか、色んな不思議な人たちが集まってやっているのが珍しいですよね。老舗の劇団、例えば文学座だったり俳優座だったり青年団だったり、そういうところが色んな部署の人を集めて団体として継続しているのは分かるんですが、それ以降に生まれた団体でそういうふうにつづいているっていうのは、珍しいと思います。

 ダンスの業界はどうですか?

三浦  ダンスではカンパニーでやっているっていうところがそもそも少ない。最近は、ダンスの公演を劇場がプロデュースするっていうのが結構多いです。その場合、制作が劇場になるので体制が全然ちがうものになる。だからアマヤドリの現場っていうのは、劇団としてやっている団体との仕事ということで、自分には非常に貴重な場所になっています。そうそう、だから私すごくチケット売ってるんですよ。

──── (笑)

三浦  東京の自分の知り合いに「お芝居だから観に来て」って言えるのはアマヤドリの舞台だけだから。「ダンスの公演に来て」っていうのはなかなか難しいんですよ。お芝居の方が、友人たちが観に来てくれる。それこそ会社のとき一緒に夢の遊眠社を観に行っていた人たちとか、声を掛けると来てくれるんです。会社の元同僚で、アマヤドリをずーっと観てくれる人もいますよ。このあいだの『人形の家』もすごい褒めてくれていました。

──── ありがとうございます。人生を感じるエピソードですね。

三浦  年齢的にもそういう年齢になったんですよね。私よりちょっと若い世代の人だと、自分の生活が忙しすぎて観に来られなかったりするんですが。だけど、私ぐらいの年齢になると子供ももう手が離れているし、まあまあ時間もあるしお金もある。だから誘えば、みんな時間があれば来てくれるんです。しかも、広田さんの台本ってそういう人たちを満足させてくれるような中味があるんですよ。若者の感性がないと分からないというような舞台じゃない。だから、観終わってから「あれはどうだった、これはどうだった」って感想が言えるでしょ、それがまたいいんです。

 例えば『人形の家』の堤〔和悠樹〕くんね。観劇後の感想でどんだけ彼について語られたことか。

全員  (爆笑)

三浦  「あの人の身体の動きがおかしいの!」って。「あの人どうなってるの?」って。

角張  物議を醸す感じで(笑)。

三浦  「なんか本人にもコントロールできないみたいよ」って言ったらすごく喜ばれたり納得してもらえたりしました。

角張  毎公演ちょっとずつ違ってましたもんね。

──── (笑)

 本日は色々と普段は聞けない、興味深いお話をみなさんからうかがうことができて、楽しい時間でした。痛み入ります。最後に、8月公演に向けて一言ずつお願いいたします。

角張  8月公演は自分はお休みですけれど。6月公演でやったことをしっかりおまかせできる方に引き継いだので、あとはお二方よろしくお願いします、という感じです。

三浦  私は広田さんに対してツッコミができるようにがんばります。

角張  (笑)

中村  二演目だし、美術として豊橋とはかなりちがう感じになりそうなので、どうなるか楽しみです。

──── ありがとうございました。

✦ みなさんのプロフィール ✦

三浦あさ子

舞台照明家。
東京都出身、大阪府在住。
2004年よりひょっとこ乱舞の舞台にかかわるようになる。

角張正雄

早稲田大学第二文学部卒業。フリーランスの舞台音響家として古典、小劇場、落語、日舞など多岐にわたる作品に携わる。
広田淳一作品にはひょっとこ乱舞時代の2004年『銀髪(初演)』以降、30本弱の作品で音響プランを担当。
近年の参加作品に、彩の国シェイスピアシリーズ『ヘンリー八世』『ジョン王』(吉田鋼太郎演出)、イエローヘルメッツ『夏の夜の夢』(山崎清介演出)、劇団俳小『これが戦争だ』(シライケイタ演出)など。

中村友美

1988年生まれ、新潟県柏崎市出身。舞台美術家/セノグラファー。
舞台・ダンス・オペラ作品中心に活動。アマヤドリには2014年『非常の階段』より参加。
また劇場空間に囚われない地域等でのリサーチ型のプロジェクトやワークショップに参加、趣味は銭湯巡り。
女子美術大学非常勤講師。

アマヤドリ 夏の新旧二本立て本公演

『牢獄の森』

『うれしい悲鳴』

 作・演出 広田淳一

2024年 8月17日(土)~8月26日(月)
@吉祥寺シアター

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