【連続企画】広田淳一、語る。#02

 

主宰・広田淳一が今現在考えていることを
語り下ろしで記事にしていくインタビュー企画です。
第二回は、新人公演/演劇ジムについて。

 

 

 

新人公演の振り返り

 

  ───広田さんにインタビューする連続企画の、第二回です。今回は、10月23日~27日にあった新人公演の振り返りと、「演技のためのジム」についてのお話をうかがおうと思います。

 

広田 よろしくお願いします。

 

  ───まず10月の新人公演についてですが、私も観に行きましたけれど、新人公演と銘打っているにしてはかなり濃密な公演だったと思います。新人・若手に担わせるにしては『やがて二人は部屋を出る』も『うそつき』もどちらもどっしりした作品だったので。『やがて二人は…』は三十分以上二人芝居でずっともたせなければならない時間がつづくし、『うそつき』の方は科白量が尋常じゃない。その上で、今までのアマヤドリの舞台にはない新しい挑戦もあって、成果としては充実した公演だったのではないでしょうか。

 

広田 それなりに力のある役者でないと厳しかったでしょうね。今回アマヤドリ初参加の三人──深海さんも入れると四人──は、よくやってくれたと思います。

 

  ───それで、もう宣伝の意味もないですし、俳優の方々については広田さんに紹介以上のことを訊ねるつもりはないのですが、山脇辰哉さんについては、少し掘り下げてみたいと思います。

 

広田 変わった才能でしたよねー。

 

 

───たしかに、前回広田さんがおっしゃったとおり特筆すべきものは感じました。何というんでしょうか……科白との付き合い方が非常に達者なのかな。広田さんがおっしゃっていたように、細々とした喋り方だったのですが、終始そういうわけではなく、テンションを上げて大声を張るときもあり、そのテンションの上げ方、さらにそこからまたテンションが落ちるその下げ方も、非常に自然でした。科白の情報量に対して声のトーンが多彩で、かなりの精度で科白の一語一語に意識がゆきわたっていないとああはならないと思うんです。

 さらに、山脇さんは、舞台上での居方も自然でした。台本の流れに身体を追従させ、仕草を当てはめていくのではなく、「ラブホテルに恋人と居てくつろいでいる自分」という身体の状態を作り込んでから、そこから科白を発しているかのような。だしぬけに靴下を脱ぎ出したり、ペットボトルの水を飲んだり、ベッドに寝転がったり、そういった動きが、アイディアとしてはめ込まれているというよりは、「くつろいでいる自分」というベースから自然に生まれている感じがあり、観ていて、最初から「なるほどここはラブホテルなんだな」という説得力がありました。山脇さんは稽古初期からああだったのでしょうか?

 

広田 山脇くんは、稽古では全然追い込んでいないですね。本当にいろいろ考えている人だったから、作品について、科白の解釈について議論はしましたけれど、演技そのものは結構彼に任せていた。彼のアイディアで採用したものも一杯ある。本人も、或る程度自分の考えていることが肯定される現場なんだなということは感じてくれていたと思うので、自由にやってましたね。

 あと、彼は本番になっても「ここでこの角度だと見え辛いですよね」とか「あの声量で聞こえてました?」とか、お客さんにどう届いているかはすごく細かく気にしていました。今日はここで笑いが起こった、起こらなかったということも人一倍気にして。だから、自分のパフォーマンスを客観視することは彼が何より気を遣っていたところだと思います。

 

  ───舞台上での居方も、最初からああだったんですか? まるで自分の部屋みたいにリラックスしていて、作為めいていなくて、驚きましたけど。

 

広田 うん。舞台上にどう居るか、ということは、硬さや違和感が出てしまう人の場合は、呼吸の問題だったり、手取り足取り本人とやっていくしかないところなんだけれど、山脇くんの場合は、何も言っていない。最初からあれ。もしかしたら、あの子は身体と空間に関してもちょっと変わったセンスを持っているのかもしれないです。彼は、サッカーをずっとやっていたそうなんですよ。結構強豪校で真面目にサッカーをやっていて、筋肉もわりとあって、自分の身体との相談ということもできる人。で、サッカーっていう競技はとくに、試合時間が長いじゃないですか。全部全力でやっていたら絶対にもたないので、いかに良い状態でサボるか、過敏に反応できる状態でいるけれどすごく活動しているわけでもない、っていうサボりの巧さがスタミナに直結してくる。彼の場合、その感覚が活きているのかもしれない。

 

  ───なるほど。サボりの巧さ、というのはすごく納得のいく表現です。まるで演技に見えないくらいリラックスしているんだけれど、だらしなさは感じない、緊張感のある身体状態を維持されていたと思うので。

 

広田 そのあたりはサッカーから来ているのかもしれないですね。

 

  ───ところで、俳優の演技レベルでの動きとは別に、舞台空間の見せ方、位置関係、動線、つまり演出家の付けるミザンスのレベルでの動きで、今回の二作品は今までにない新しいことをやっていたなと感じたのですが、それは、広田さんが意図的に変えた部分はあったでしょうか。

 

広田 自分ではそんなに変えたつもりはないけれども。そんなに変わってました?

 

  ───今までアマヤドリの作品は、舞台空間を抽象化してデザイン的に切り取り、幾何学的な配置の美しさで魅せることが多いなと思っていたのですが、今回の『うそつき』『やがて二人は…』の演出では、そのバランスが崩れる瞬間が多々あって、位置関係や動きが、かなり細かく変化していたという印象です。一言で言えば、動線が複雑だったということなんですが。

 

広田 うーん。動きに関して言えば、自分のなかで一つ思うのは、根っこのところに大きな嘘があるということ、ですね。たとえば『やがて二人は…』でも、普通に考えたらあんなに動くはずはない、本当にリアルに考えたら、ラブホテルの部屋で会話している二人なんてずっと止まっている方が自然なんだけれど、それで劇が成立するとは思っていないんです。だから、リアルを装いつつ、心の押し引きや二人のステータスが変わっていくということを、そのつど位置の変化で表わす。『うそつき』でも、最初板垣がナイルと出会うときはナイルが中央にいて下手に板垣はとどまっているんだけれど、物語が進んだ三幕では板垣が真ん中に来て、ナイルは端っこにいる。そういうことは或る程度勘でやっているところはあると思います。

 

  ───そう、その位置関係の変化というのが、今回の二作品ではかなり細やかだったなと感じます。とくに『やがて二人は…』の方は日常的な空間内で、長く二人芝居がつづくシーンがあり、少しでも段取りっぽくなったら不自然さが出てしまうと思うのですが、ずっと流れるように二人の距離感や動きが変化していて、観ていて飽きなかったですね。『うそつき』でも、梅田さん演じるナイルが芝居しながら空間を縫うように動いていくのを、面白いなと思いながら観ていました。それは明確に今までのアマヤドリの舞台とは違うなと思ったのですが、とりわけ、意図したことではない?

 

広田 あまり自分では変えようと思ったことはなかったけれど……。そう言われて、思い当たるのは、僕は、2017年の『崩れる』以降、科白の書き方を結構変えているんですが、それによって当然必要とされる動きも変わってきているということに、演出家としての自分がようやく追いついてきた、のかもしれない。普段はミザンスではあまり悩まないんですよ、最後の段階で空間と動きについて直感的に正解が見える瞬間があるので。でも、『崩れる』のときは動きが作れなくて苦戦した。あのときは、上手く動けなかったですね。

 

  ───『崩れる』は一箇所に座っていることが多かったですね。

 

広田 あのときは、役者さんも含めて、ああいうテキストでどう動いたらいいか分からなかった。あのときと比べたら、今は動けるきっかけをたくさん見出せるようになってきたのかもしれない。実際、今回もミザンスを付けるのに、いつもより大分時間が掛かるなと思いながらやっていました。会話の呼吸というものとすごく連動させながら動きを作っていたような気がする。

 

  ───その成果は、実際舞台上に表われていたと思います。そんな新しい挑戦を新人公演でやっているということも含め、贅沢な公演だったなと顧みます。

 

広田 そう言っていただけるとありがたいですね。

 

 

 

「演技のためのジム」について

 

  ───つづいて演劇ジムの話に移りたいと思います。この11月に再開したアマヤドリの「演技のためのジム」、昨年の春から中断を挟みつつ、一年以上やってきて、振り返って広田さんもいろいろと考えることがあると思うのですが。

 

広田 今年は休みがちでしたね。それは本当に反省しています。もっとやるべきだった。演劇ジムをはじめてみて、意外にも結構何度も来てくださる方もいて、こういう場所を必要としている人がいるんだなと実感しているので。たくさん来てくださる人から感じているのは、或る程度キャリアがあって、何でもいいからお芝居に出たいという時期ではない人が、ちゃんと演劇について、演技について言葉が重ねられる場所に飢えているのかな、ということ。もう少し回数を増やして、無理してでもやるべきだったなという思いはすごくあるんです。

 

  ───「演技のためのジム」の開設時の説明では[参照:http://amayadori.co.jp/archives/10605]、発声や身体のトレーニングの場ではない、特定のメソッドにのっとったWSの場でもない、テキストに基づくリアリズム演技の鍛錬のみ行なう場だということになっています。

 

広田 そうですね。課題戯曲の稽古を中心にやっています。

 

  ───教える教わるではなく、広田さんと一緒に演劇をやっていくという場所?

 

広田 基本的にはそうなんですが、今はまだ、僕が教えるという側面が強く出ることもあります。みなさん良くも悪くも演劇に情熱を持っていて、現場にもよく出ているんだけれど、演技をどうやるかっていうことに共通の言語がないままやっている人が少なくない、と感じています。

 

  ───たとえば私が役者だったら、課題戯曲に対して、ここはこういう解釈でやってみたのだが、それがパフォーマンスとして実際どう表われていたのか、広田さんの目でチェックしてもらいたいと思うかもしれません。演劇ジムの場の利用法として。

 

広田 そこまでいかない人が少なくない。僕が演技について質問して、それに答えるためには、演技について考えるためのルールを共有していないと難しいですよね。「しっくりきた」とか「腑に落ちない」という貧しい言葉だけでやっていては、そうはいかない。それを、動機、目的、ステータスといった基礎用語を踏まえて、「このシーンではどういう動機を持ってそこにいるの?」「何を目的にこの科白を発しているの?」「このやりとりの裏にはどういう葛藤があるの?」「相手役の科白のどこに反応しているの?」「相手役とどういうふうに関わろうとしているの?」ということが問えるようになるだけでも全然違うから、そういう共通のフレームを与えることからはじめることも、人によってはある。

 そうそう、それで言うと、また山脇くんの話に戻りますけど、新人公演のポストパフォーマンストークで彼と話したとき、彼は「広田さんは怖い人だと聞いていたんですけど、広田さんの言うことが、大体ツイッターで広田さんが書いていることと同じだったので、戸惑いませんでした」みたいなことを言っていて。あの子はそういう予習をしてきてくれたらしいんですよね。だから稽古場で話がスムースにいった面もあります。

 

  ───演技についての細かい技術論を、広田さんみたいツイッターで発信している演出家も珍しいですしね。「演技のためのジム」では、広田さんが、俳優にダメ出しするという局面もあるんですか。

 

広田 結果としては、こちらから良いとか悪いとか言っていることもあります。それと、もちろんどう戯曲を読んでいるのかという質問も。あとは、俳優が陥りがちな癖とか、無意識的に発生している何かを指摘することも多い。それをどう処理するかはその人次第だけれど、指摘されて初めて意識できるようになることでもあるので。自分ではたぶん気付けない。首の向きを変えるときに瞬きするとか、お芝居のときにしか出てこない、ありがちな癖で、結構みんなやりがちなんですけれど。指摘してあげると「たしかにそうだ」ってなる人が多いです。

 

  ───逆に、俳優からの影響で、広田さんの演劇に関する考えが更新されるということもありますか。

 

広田 こちらが問われていく局面はありますよ。僕は演劇を或る程度の時間やってきたので、演劇に関して、自分のなかで現時点での結論が出ている要素はあるんだけれど、それでは通じないこともたくさんあって、演劇ジムはそれを日々考える場所にもなっています。やっぱり演出家の仕事ってちょっと特殊なんですよね。どう言ったらどう反応するか、とか、実際場所がないと考えられないし、勘も養えない。

 それに、最近よく話題になるハラスメントの問題も……難しいですよね。稽古場での権力のあり方についても、自分なりに新しいやり方を探っている最中です。完全に役者さんたちの自主性に委ねていたら上手くいくかっていったら、必ずしもそうではなくて、手取り足取りやってあげないといけない場面も多々あるし、役者さんたちに優しく優しくやっているだけでは駄目だと思うけれど……どうやって互いにリスペクトしつづけるか、という戦いなのかな。僕は僕で探っていきますが、役者さんの方でも、演出家に対峙する方法を学んでいってほしいと思います。

 

  ───「演技についてのジム」の今後の展望は。

 

広田 自分のなかで明確なゴールが見えているということはないです。ただ、もっと発展していく可能性がある場だと感じています。今はほぼテキスト稽古のみですが、集まってくれた人の顔振れ次第ではもっと高度なこともできると思うし。しばらく休んでいましたが、また継続してやっていきます。

 

(聞き手:稲富裕介)

 


 

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