新作公演『解除』出演メンバーの
ワタナベケイスケ、相葉るか、徳倉マドカの御三方に
アマヤドリのことやお互いのことを、
ざっくばらんに語ってもらいました。
ワタナベケイスケ マドカは他の新人さんとちがって、アマヤドリとの関わりは結構前からだよね。
徳倉マドカ そうですね、はい。
ワタナベ いつ頃からなの?
徳倉 二十歳前後、七年ぐらい前。
ワタナベ 最初は演出助手として関わってくれて。
徳倉 そう、『すばらしい日だ金がいる』〔2015年〕の。あと、『ロクな死にかた』の再演〔2016年〕のときも。演助として関わったのはその二本です。
相葉るか 『すば金』とかあたしが入団した年のやつだ。
ワタナベ マドカがアマヤドリの作品を最初に観たのは何だった?
徳倉 『ロクな死にかた』の初演を、地元でDVDで観たのが最初です。高校のときの顧問の先生が持っていたDVDを観せてもらいました。二つ観せてもらって、一つがTEAM NACSが出ている作品で、もう一つがひょっとこ乱舞(=アマヤドリ)だったんですけど。両方とも超面白かったです。
ワタナベ 『ロク死に』の初演は俺が初めて劇団員として出た公演だわ。
徳倉 『ロクな死にかた』超面白い!と思っていて、上京後、ネットで検索したらひょっとこ乱舞はもうアマヤドリになっていて。そして劇場で観たのが『非常の階段』の初演〔2014年〕でした。それもすごい面白かったです。東京にはこんなに面白い演劇があるんだって思って、それから色々観たんですけど、結局アマヤドリが一番面白かった。未だにわりとそうですね、劇団単位で言うなら。
ワタナベ るかがアマヤドリに初めてかかわったのは『悪い冗談』〔2015年〕だよね?
るか 『悪い冗談』で、初めて出演して。そのときはまだ、ケイスケさんのこと怖いと思ってました。役柄的に関わりもなかったし。
ワタナベ 俺自身、他の役とほとんど絡みのない役だったね。
徳倉 いつから今みたいに打ち解けるようになったんですか?
るか 結構明確に覚えているのは、『悪い冗談』と次の『すばらしい日だ金がいる』のあいだに、完全に劇団内の人だけに向けた内輪の公演を双子〔相葉るか・相葉りこ〕でやったんですよ。『ジョシ』という二人芝居を。今の新人ちゃんたちが新人ちゃんたちだけで演劇ジムをやるのと似たような感じで、本当に劇団員に見せるためだけに稽古をして。その稽古期間中に、ちょっと体調を崩してしまった広田さんのところにお見舞いに行ったら、ベランダに男の人がスラーッと立ってて、なんかヤバいなと思って身構えたら、それがとうもろこしを持ったケイスケさんでした。
徳倉 (笑)
ワタナベ 当時の目白の事務所、ベランダから入れる構造だったんだよ。
るか すごくびっくりしたんですけど、そのとうもろこしは差し入れで、ケイスケさんも広田さんを看病するために来ていて、「この人めっちゃ優しいんやー」っていうのがあって、それをきっかけに喋りやすくなりました。
ワタナベ 自分が初めて舞台上でがっつりるかと絡んだのは、『月の剥がれる』の再演〔2016年〕のときかな。つまり直接るかを相手役にしたシーンをやったのは。
るか 『月の剥がれる』のときは、私がめっちゃボロボロで、ケイスケさんに助けてもらいました。
ワタナベ 『月の剥がれる』のるかさんは、ものすごい重要な役でしたからね。るかさん自身も苦労していて、広田さんもるかさんのパフォーマンスに納得行っていないという状態がつづいて。それで稽古終わりに、環七かどこかのデニーズで、るかさんを励ます会をしたことがありました。僕と倉田さんと星麻の三人で、ただただ励ます会を。それをよく覚えてます。
徳倉 優しい!(笑) 青春みたいなエピソードじゃないですか。
るか あのときは、自分はもう俳優辞めた方がいいのかぐらいのことを思ってました。あたしが作品の足を引っ張っている……って意識がヤバすぎて。
ワタナベ まあ一度は経験しますよね。自分のせいで作品が面白くなくなってるんじゃないか、俳優辞めた方がいいんじゃないか、みたいな悩みは。でもそういう「絶望から始めましょう」という意識は、広田さんの指導の仕方も含め、アマヤドリには連綿としてありますよ。根拠のない自信を持つことも大事だけれど、自分に技術がないとか、自分がそんなに器用じゃないとか、色んなことを知らないってことに、一旦絶望して、そこから研鑽を積んで行こうよ、っていう。分かりやすく言えば、るかは『月の剥がれる』でその必要なプロセスを経験したっていうことになると思う。そして今後も大なり小なりそのプロセスをくり返していくのだと思う。
徳倉 たしかに、アマヤドリのワークショップに最初参加したときにも、広田さんが「根拠のない自信を持つな」みたいなことを言っていたのが、印象に残っています。
ワタナベ もちろん根拠のない自信を持ったり、「やってやるぞ」って野心を持ったりすることも重要なんだけれど、同時に、自分の至らなさに愕然として、そこからどうやって進んでいくかって志向も必要だと。アマヤドリ全体で一本通っている筋として、そういう意識はありますね。
ワタナベ 過去のアマヤドリの作品で何が好きかを、それぞれ語ってみましょうか。
るか 私は、出てないけど、観ただけだけど、『うれしい悲鳴』。『うれしい悲鳴』〔再演、2013年〕を観て自分はアマヤドリのオーディションを受けようと思ったので。『うれしい悲鳴』にすごい感動して、オーディションに受からなかったらもう演劇辞めようぐらいの気持ちでいました。
ワタナベ へー。
るか それか、自分も出た『非常の階段』〔再演、2017年〕。『非常の階段』はツアー公演で、そういうふうに公演数が多いと、だんだん気持ちが褪せてしまうというか、悪い意味で慣れてしまうところがあると思うんですが、『非常の階段』は毎回新鮮な気持ちで楽しめたんです。そうやって楽しめた理由の一つは、最後の方にケイスケさんが科白を叫んで、不様に床に泣き崩れてもがくシーンがありましたけど、それが綺麗すぎて、毎回袖裏からそれを「なんて良い光景なんだろう」って思いながら見てて。そのおかげもありました。あのシーンめっちゃ好きだったんですよね。
ワタナベ 具体的なシーンの話が出たので、少し語りますけど……あのシーンについては、観ている人から「毎回よく泣けるね」みたいなことを言われていたんですね。広田さんにも言われた。とはいえ、演技論としては「泣く」というのは結果にすぎず、最終的に泣くかどうかはどうでもよくて、僕自身「泣く」ための結果にコミットするような演技はしていない。特別なことは何もないんですよ。もちろん演劇なのでミスは起こりうる。あの最後のシリアスなシーンに向けて、一人一人が出てきて科白を言って、劇全体としても盛り上がっていくなかで、ちょっといつもと出るタイミングがちがったり、科白の感じがちがったり、単純に噛む・トチるということもあったりして、最後に至る過程は毎回ちがう。でも、自分としてはそのことに心を乱されなかったんですね、ステージを重ねても。それはなぜかというと、あそこで最後に自分に声を掛ける倉田〔大輔〕さんが、絶対に外さなかったから。背後から声を掛けるとき、ちゃんとしたパワーでちゃんと声を当ててくれたから。加えて、あそこでは〔笠井〕里美さんが姉役として僕のことを見つめているんですが、それもものすごいテンションで見ていてくれたから。だから、その過程でミスが起こっても、倉田さんの声や里美さんの身体の状態を受け取ることができれば、自然に科白も出てくるし、自分の心も動くんですよ。そういうことがあるからこそ、やっぱり「見る」っていうことや、「言葉を当てる」ってことは重要なんですよね。それは広田さんからも、色んな人からも言われるし、自分にとっても演技における原初的な教訓になっている。難しいことですけどね。
るか 『非常の階段』では、ラストでみんなが群舞しているのにケイスケさん一人だけ動かないという演出も、印象的でした。
ワタナベ あれは踊りが下手なんでクビになったんだよ。「ケイスケ今回はいいや」って。
全員 (笑)
ワタナベ マドカはどう? アマヤドリで好きな作品。
徳倉 一番は決めかねるんですけど、やっぱ『ロクな死にかた』って言っちゃいますかね。『ロクな死にかた』を観た頃、DVDで『モンキー・チョップ・ブルックナー!!』〔2009年〕も観ていて、細かいところまで覚えてはいないんですけど、それも超面白かったです。アマヤドリの作品の、勧善懲悪じゃないところがすごい好き。あとは『青いポスト』の初演〔2017年〕。初演はもうだばだば泣いて観てました。王子小劇場の上の方で、るかさんとりこさんが二人で喋ってるシーンあるじゃないですか。あそこでずーっと泣いてました。なんだあの良い絵は……みたいな。
ワタナベ 好きな作品、という話からはズレるかもしれないけれど、『青いポスト』は、本当に感慨深かった。自分が劇団に長くいて、劇団に入った頃からずっと見てきた双子が、当然入った当初は演技力の面でもフィジカルの面でもまだまだだったのに、その後色んな役を経て成長して、その成長が結実した瞬間として二人を主役にした作品が『青いポスト』だったから。たしか広田さんは戯曲を書く最初から言っていたと思うんだよね、「今回は双子の話にしようと思う」って。入団当初からの変化を見ていた分、あれは感慨深かったです。
るか ケイスケさんの好きな作品は? ケイスケさんは劇団員歴が長いから、好きなのを決めるのは難しいですか。
ワタナベ 好きな作品か……。やっぱ『銀髪』じゃない? 『銀髪』の再演〔2007年〕かな。例えば主人公の種吉がお姉さんにすごい長科白で語り出すところとか、情報量の多さが尋常じゃないでしょう。「すべてを分かった気になって劇場を出られると思うなよ」って観客として試されているようで、でも、それが心地良いんですよね。あとは、尾形っていう登場人物が鏡が割れていることにキレはじめるシーンとか、訳が分からないんだけれど、文字情報で受け取るのでは伝わらない感情の起伏や移り変わりが、舞台で観るとあって、なんとなく腑に落ちる。そういうことによって進んでいく作品だと僕は思ったんです。戯曲だけで進んでいくのではない、演劇だからこその説得力がある作品というか。
るか たしかに。
ワタナベ ほんとに訳分からないんだけど。個人間のいさかいみたいな話をしていると思ったら、どんどん話が飛躍していって、種吉が過去に付き合っていた女性についてのエピソードを語っている、つまりすごく個人的な話をしているなかでも、突然社会全体や世界そのものにタッチする瞬間があったりして。けど次の瞬間にはまた個人的な話に戻っているっていう、そのダイナミズムを、とくに僕は『銀髪』とか、『モンキー・チョップ・ブルックナー!!』といった作品では感じて、それが自分のアマヤドリ体験の原風景としてありますかね。
徳倉 ちょっと抽象的な言い方になるんですけど、自分がアマヤドリの現場に演助で付いていたときにも、稽古場で、広田さんの話とか、広田さんと役者のディベートをずっと聞いていると、いつもいつもすごい広い世界の話をしているから、その空間が膨らんでいく感覚が演助やってて楽しかったです。
ワタナベ 不思議だよね。話している当人は単に小さな物事について是か非かという話をしているつもりなのに、側から見るとどんどん空間が広がっていく。
徳倉 池袋とか板橋の小さい空間でなぜかこんなデカイ話をしているなあって感動しました。
全員 (笑)
ワタナベ 次に、この三人で舞台をやる、ってことについて話してみましょうか。単純に俺はマドカとやるのが初めてだし。
徳倉 私もるかさんとの絡みは今までほとんどなかったです。
るか 同じ作品に出ても、絡まなかったね。楽屋は近かったけど。
徳倉 楽屋ではお世話になりました。
ワタナベ じゃあお互いの俳優としての印象を語ってみますか? そこから、今回の新作はこういうことをやってみたいという話につなげられれば。
徳倉 俳優としての印象?
ワタナベ 例えば俺は、るかと舞台をやるっていうと、一番印象に残っているのは『野がも』〔2018年〕のときのことなんですね。空洞で『野がも』の稽古をしているとき、俺とるかのシーンで、ダメ出しで広田さんに「ケイスケ、それは声を落としすぎ」って言われたことがあった。「それじゃあ流石に王子小劇場の広さでもお客さんに声聞こえないから、声を張ってくれ」と、そういうふうに言われたテイクがあったのよ。覚えてる?
るか (頷く)
ワタナベ でも、そのテイクをやっているとき、俺としても「この声の大きさじゃ王子でも聞こえないな」っていうのは分かっていたんだ。分かっていたんだけど、そのときは、るかとのやり取りでかなり深いところでコミュニケーションができているなという感触があったので、声を落としてもそのつながりが維持できるのかを、それだけを試すつもりでやっていたんだよね。もちろん稽古とはいえ観ている人のことを考えてやるべきなんだけれど、そのときは、るかとのつながりだけを考えてやっていた。それが演技をやる上での面白さの一つだと思うんですよ。どこまで深く潜れるか。るかを相手にしてここまで深く潜れるのか、じゃあもっと潜ってみよう、どこまで行けるか試してみよう、っていうその面白さ。まあ結果として成立しなきゃ意味ないんだけれど、そのときは稽古だからいいやって思っていた。そういう試みに今回また挑めるかなっていうのが楽しみですね、るかとやる上で。
マドカは、それこそ演助をやってくれてたときにも思ったけれど、心の距離がある人だよね。シャイというか。
徳倉 そうですね。
ワタナベ 2月公演〔『純愛、不倫、あるいは単一性の中にあるダイバーシティについて』〕のときにも、観ていてパーソナルエリアが広い、遠いところがマドカの面白いところだと思った。そういうマドカの個性が今回の新作でも出るといいと思うし、一緒にやる上で、「そこで踏み込んでくるんだ」とか、新鮮な距離感を楽しめたらいいなと思っています。……みたいな、そんな話を二人にもしてもらえたら。
徳倉 なるほど。
るか じゃあ私から。マドカは──お芝居ではまだ絡んでないんですけど、観た印象は、こんなことを言うとあれなんですけど、羨ましい。私にない魅力をすごい兼ね備えてるなーって。『生きてる風』〔2021年〕のときは、マリモみたいな印象だなって思ったんですけど。
全員 (笑)
るか そのときのマドカは舞台上に長くいる役だったんですが、邪魔にならないのに、ちゃんと存在感があるというか。マリモって水槽のなかにいても、泳がないからずっと下の方にいるじゃないですか。で、存在感はあるから水槽のなかにマリモがいたら、絶対見るじゃないですか。
ワタナベ マリモは見るねー。とくにマリモが喋り出したら、絶対見るね。
るか でもそうやって存在感があるのに、自己主張は強くない。ずっと見ていられるのに、人の邪魔をしない。それって難しいと思うんですよ。パワーを出すみたいなこと以外で存在感があるっていうのは。それに演技でも、やり取りはリアルだし、対話するのも上手で、そこに存在しているとおりの子なんだなっていうのを観ていて信じられる。それが、羨ましい。
ワタナベ 分かる分かる。
るか ケイスケさんは──お世話になる機会が多すぎちゃって、なかなか話しにくいですが。ケイスケさんと稽古しているとめっちゃ面白いし、丁寧に言語化してくれるので、後輩としてはめっちゃありがたいです。自分がよく分からないでやっていたことはこういうことだったんだ、って無意識を意識するのを助けてくれる。お芝居も引っ張ってくださるし。そして、俳優としては、私は、喋っているときのケイスケさんが好きですね。もちろんリアルな役もできるのだけれど、喋りながら、独特のいかがわしさを出しているときのケイスケさんが。
全員 (笑)
ワタナベ この前もエチュードやってて言われたからね、「うさんくさい」って。
るか そのうさんくささが面白いんですよ! 振り幅が大きいというか、引き出しが多い人だなって思います。やろうと思えば自然な演技もできてそれも魅力的なのに、いくらでもその上にトッピングできてしまうっていう。それがすごいなって。
ワタナベ 今後は僕の誠実さをアピールしていこうと思いまーす。……それじゃあ、次マドカよろしく。
徳倉 了解です。まずるかさんからいきます。──るかさんって、「儚い役」が似合う、っていうことを以前他の人が言っているのを聞いたことがあって。
るか 役として死にがちだからね。
徳倉 それを聞いたとき私もしっくりきたので、なんで自分はるかさんに対してそう思うのかな、って考えたんですが、私のなかでは、るかさんって、その役自身が思っていることとは裏腹のことをやっている、本心を隠して振る舞っているという葛藤がある人物を演じるのが、上手だなっていう印象があるんですね。そういう人を演じるときの、きれいな嘘の下に隠れた本音が見えてくるような演技が、「この人って本当はどう考えているんだろう?」て気になるような演技が、上手だなって。で、それが儚いっていう印象にもつながってくるのかなと思いました。
そして、そういうやり取りができる人と、一緒にお芝居をするってなったとき、つまり、自分がその本心を上手の隠すように振る舞っているるかさんの相手役として立ったとき、自分はどういうふうに反応することになるのかなっていうのが、今からすごい楽しみです。
お芝居以外では、るかさんはいつも親切で、対外的にはめっちゃ大人な対応されてるっていうのが私の普段持っている印象です。私と二人っきりになったときにも「大丈夫?」「何か困ったことない?」って気を遣ってくださったり。行き届いている感じがします。
ワタナベ それは、双子は劇団に入った当初からそうだったかもね。
徳倉 入ったときから、しっかり者という感じだったんですか。
ワタナベ 察する能力が高い人たちだった。先輩から何も言われなくても、「これはやった方がいいな」「これはやっちゃいけないことだな」っていうのを察して、人によって対応をパッと変えたり、率先してコミュニケーションを取りに行ったり。打ち上げだったら、最初に全員の飲み物の注文をまとめたり、バラシで遅れる人の料理を取っておいたりとかね。そういうのは最初からできる子たちだった。それだから『青いポスト』で、初めて双子中心の劇をやるってなったときにも、自然に周りがこの二人を支えようというふうになったよね。「あの子たちに大きな役を任せて大丈夫なのか?」ではなく「ようやくあの子たちも大きな役をやるようになったんだね、じゃああの二人が輝けるように動きましょう」っていうふうに。それって、演技力のあるなしと同じくらい重要なことかもしれない。やっぱり演劇は、中心の人がどんなに頑張っても、周りやお客さんがそれを認めていないと、ワンマンショーみたいになってしまうから。いざ自分が大きい役をやるってなったときに、周囲の人がそれを受け入れてくれるように、そういう状況を日頃から作っておく。それは大事なことですよね。
徳倉 まさに。るかさんが「気を遣ってくださる」ってことで私が言いたかったことは、そういうことでした。
ワタナベ それはりこもそうだよ。舞台で自分の役の出番が少ないときでもちゃんとやって、周りに気を遣っていれば、長期的には当然信頼されますよね。それが、劇団のいいところかもしれない。積み重ねが活きてくるから。
徳倉 では次に、ケイスケさんのことを。──この前エチュードをやらせてもらいましたが、ケイスケさんとやったのはそれが初めてで。エチュードって相手役を窺ってしまうことになりがちだと思うんですけど、ケイスケさんは、当然ながら自分からバーンって発信することもできるし、それで終わりじゃなくて、自分が発信したことが相手=私にどういうふうに響いているのかということまで、すごい見られている感覚があって。その緊張感が新鮮でした。そして、私は良くも悪くも相手に影響され易いので、そのときは、私の返しがケイスケさんにどう響くか、ということまで自分で冷静に見ることができた。もちろんそれは、普段からできていなきゃいけないことなんですが、そのときは、ケイスケさんがそれをやっているから自分もやろうとして、そこまで冷静に見ることができたんですね。そのエチュード自体は、展開があまり進まなくて、出来は微妙だったかもしれないけれど、個人的には、そうやってケイスケさんと繊細なところでやり取りできたことが、「なるほど、こんなふうに受け止めることもできるんだな」って経験できたことが、すごい楽しかったです。
ワタナベ エチュードって、外からそれを見て拾いたい情報と、俳優自身がエチュードをやっているときの細かな楽しみって、またちょっと別だからね。僕らは展開そのものよりやり取りの細かな積み重ねの方が面白かったりするから。それが外から見ても面白ければ最善なんだけれど。
徳倉 俳優の面では、何度も話に出して恐縮なんですけど、私はやっぱり『非常の階段』をやっていたときのケイスケさんがすごい好きで。私の印象では、ケイスケさんの役は、あの舞台で起こっていたすべての絶望を背負おうとして背負いきれなかった人、全部の辛さがそこへ集中する人、みたいに感じたんですね。ケイスケさんを見ているだけで辛い、見ていられないくらい可哀想という瞬間が最後のあたりに何度もあって。それって、そういうふうになろうと思ってもなれるものじゃないと思います。言ってしまえば、ちょっと狂ってしまっているんだけれど、でもリアリティはあるという人物を演じられている。ケイスケさんをそういうすごさのある人だなって自分は見ています。
ワタナベ ありがとう。そういうふうにマドカが楽しい、すごいって言ってくれたところを、広田さんの戯曲がある状態で体現できたらいいよね。三人のバランスを保ったままで。この三人だからこその活かし合いがあって、元々のパーソナリティや好みを最後まで維持して、できることなら各々が他の人の強さに負けないように自立していられるといい。今回、三人芝居だから逃げ場がないしね。
るか 逃げ場ないですねー、少人数だと。それは『ジョシ』のときにほんと痛感しました。
徳倉 逃げられないですね……。
ワタナベ まあ三人で助け合っていきましょう。
アマヤドリ みちくさ公演
『抹消』/『解除』
作・演出 広田淳一
2022年 8月2日(火)~4日(木)
8月23日(火)〜24日(水)
9月6日(火)〜7日(水)
@スタジオ空洞
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