他の作家に浮気することもなく、古典といえばイプセンてな具合で取り組んできたアマヤドリ。
これまで『ヘッダ・ガーブレル』『海の夫人』『野がも』と3作品を上演してきました。
出演していた劇団員に当時の思い出を聞いてみました!
ーー出演作についてどういう作品であると考えていましたか? また、自分の役はどういう存在であると認識していましたか? その考えは当時と今とで変わりましたか?
私の出演した『ヘッダ・ガーブレル』はちょうど10年前に取り組んだ作品なのですが、正直作品について、役について、どう考え取り組んでいたかの記憶が全然残っていないんです……。
でもおそらく、考えが全然足りていなかったんだと思います。
戯曲の読み方や、役を演じる上で何を読み取る事が大事か、今でも絶賛学び中ですが、当時はより未熟な中で作品に取り組んでいたと思います。
でも2022年に、広田さんが主催している「演技のためのジム」でこの作品を扱う事になって。
その回に参加する事をきっかけに改めて戯曲を読んだんですが、「この戯曲、なんて面白いんだ!!」と、すごくワクワクしながら読みました。
前置きが長くなってしまいましたが……その時に感じた、2014年の公演で演じたヘッダ役の事をお話してみますね。
人は皆「幸せになりたい」と願って生きていると思うのですが、ヘッダにとっての幸せは”何にも支配されずに自分の好きなように生きる事”なのではと思いました。
どーーーしても自分第一優先でいたい。
だから例えば「子どもがいるからコレができない」とかは耐えられない。
でもそれは若い時しか通用しないという事が、認めたくないけれど自分でも分かっていて、だからこの”幸せ”は諦めるしかない。
でも他の幸せは見つけられない。死ぬ勇気もない。退屈でしょうがない。だから人生に”面白い”事が起こって欲しい……。
そんな思いがあるのではないかと感じます。
私的な話ですが2022年当時から妊活をしていて、自分にとっての幸せが年齢と共に変化しつつある時だった事もあり、「今改めてこの役を演じられたらすっごくワクワクするな」と思いました。
ーー広田演出でイプセン作品を上演する良さや面白さがあれば教えてください。
挑戦がある所が面白さだと思います。
アマヤドリでは古典作品をやるにしても、キャストが「この役をこの俳優にやってほしい」という集まり方ではなくて、「この俳優陣でどうこの作品を演るか」という順序の方が近いと思うんです。
なので配役も、当時私がヘッダ役を頂いたのもそうですが、チャレンジングになる事が多々ある気がしています。
広田さんは演出家として、この座組で面白くなる最大値を稽古中も模索し続けていたように思います。
結果、稽古前には想像できないような演出が施されたりもするのは、挑戦がある故の面白さかなと思います。
ーーアマヤドリのオリジナル戯曲を上演する時と比べて気をつけた点などありましたら教えて下さい。
オリジナル作品はアマヤドリでは当て書きが多くて、私がその役を演じる意味みたいなものは勝手についてくる事も多いように思います。
でも古典作品は、同じ役に数多の俳優が取り組んでいる。
だから、自分がこの役を演じる上での強みはすごく意識した気がします。
ヘッダでいうとそれは、自分の我儘への貪欲さじゃないですかね(笑)
あとはやっぱり口調。普段の言葉遣いとかけ離れた喋り方の中で、「いま自分が目の前の相手に言っている」という実感をどう持つか、という課題はずっとあったように思います。
ーー当時の思い出があれば教えてください。
入団して初めての主演で、実力が伴ってのキャスティングでない事は自分でもよく分かっていたので、なんというかがむしゃらでいっぱいいっぱいだったと思います。
若さ故と言い訳したくなる尖りもあって、「自分が圧倒的に台詞多いからこそ、誰よりも早く覚えきってやる!!」みたいなメラメラ感もありましたね(笑)
周りのみなさんにも本当にご迷惑をかけて、お話できないくらい申し訳ない具体的なエピソードが2、3個浮かびます……。
ーー今回の出演者に向けて応援メッセージなどお願いします。
様々なカンパニーが取り組んでいる作品ですが、絶対にアマヤドリにしかできない『人形の家』が見られると思うんです。
2バージョンありますが、演出の方向性だけでなく、それぞれの俳優陣だからこその変化も生まれると思うので、それをとっても楽しみにしています!