アマヤドリの2016年春の本公演は劇作家・広田淳一の代表作の一つ『ロクな死にかた』の再演、しかも変則ロングラン&ツアーという通常からはやや逸脱したかたちでの上演になります。今回はその『ロク死に』再演の企画意図やロングランに際しての意気込みなどについて広田さんに話をうかがいました。(収録日:3月12日)
◆◆◆『ロクな死にかた』再演企図◆◆◆
───まずは今回五年ぶりに『ロクな死にかた』〔※初演:2011年2月〕を再演するという企画がどういうところから始まっているのか、聞かせていただけますか。
広田:すごく率直に言ってしまえば、『ロクな死にかた』を特別この時期に再演しなきゃならないっていう理由はないんです。ただ、『ロクな死にかた』は前々からずっと再演したいと思っていた。というのも、この作品は一応戯曲賞に応募して、最終選考に残りました、みたいなことになったんですが、その時、改めて自分で読み返してみて……なんだかこの戯曲は途中までは良く出来ているのに、ある箇所からどうも今ひとつだな、という気がしたんだ。最初は良い感じなのにもったいない、ということをその時に思って、それ以来またどこかのタイミングで『ロクな死にかた』をリライトして再演したいなあ、ということはずっと思っていたんです。初演の翌年にはもう再演したいと考えていたぐらいだったんだけど、まあそうこうしているうちに月日が流れまして、今回、五年ぶりの再演ということになりました。
───再演ということで言えば『うれしい悲鳴』〔初演:2012年3月、再演2013年10月〕の方が先になってしまいましたね。
広田:そうそう。お客さんの評価は分かれたところがあって、『ロクな死にかた』の方が面白かったって言ってくれるひとと、いやいや全然『うれしい悲鳴』の方が面白かったでしょっていうひとと分かれたんだけれど、でも自分では『うれしい悲鳴』の方が初演の段階では完成度について自信があったので、それでそちらが先になったんでしょうね。
───『うれしい悲鳴』ならほとんど手を加えなくていいので再演を決断しやすかった、と。
広田:再演時に一シーンだけ書き足しましたけど、それも初演の時に没になってしまったものをちょっと加工して復活させたという感じでしたから。で、いよいよ『ロクな死にかた』の再演をやろうってことで今回の公演を企画したんですけどね……リライト、なかなか苦戦してますね(笑)
───どうリライトするか、方針がなかなか決まらない?
広田:リライト作業には早い段階で入ったんです。でも、そこでちょっと困難にぶつかったというか……リライトの際、今の自分の問題意識とか今の自分の興味とかを、もちろん盛り込むべきなんだけれど、あんまりそれらを盛り込みすぎてしまうと原型がなくなっていってしまう。だったら新作を書けばいいじゃないか、というね。再演っていうのは、まあ、自分の作品に対して言うのも変だけれど、やはり初演へのある種のリスペクトがちゃんとないと本当にぐちゃぐちゃになってしまいかねない。初演の『ロクな死にかた』について「ここは変だ」「ここは要らないな」みたいな文句は自分でも色々あるんですが、ある一線から先は手を出せないなということも感じていて、そこで悩んでいるところです。
───でもやはり後半以降には手を入れるということになりそうですか。
広田:後半というか、中盤以降かな。ちょくちょく、手は入れていっています。
───戯曲はすでに公開されているので、あまり詳しいネタバレにならない範囲でリライトの方針についてここで具体的に語ってくださってもいいと思います。
広田:うーん、たとえば、生方という人物が持っている役割みたいなもの。それがあの劇のなかで今ひとつ機能しきれていない気がするんだ。それをどう着地させるかということをもう少し書きたい。彼が最初にチサトに話を聞きにくるということからこの劇は起動しているはずなのに、実はあんまり生方の存在っていうのがこの劇を動かす原動力になりきれていないんでね。描かれる対象として生方はとくに重要な人物というわけではないけれど、彼が登場することによってチサトにせよ武田にせよ変わっていく。そういう意味ではキーマンなんですよ。生方というピースが物語に上手くはまっていけば、登場人物たちのつながりがもっと強固なものになるんじゃないか? そんな気がしている。
……あとは武田という人物がポイントなんでしょうね。主人公の毬井と武田っていうのが戯曲のなかで対比になっているところがあるので、武田がどういうふうに着陸していくのかは大事なはずだと思う。たぶん、リライトするということで言えば現在の僕の問題意識に一番リンクするかもしれないところでもある。……初演の時の武田というのは、人並みに社交的だし他人の言うこともよく理解できるひとだけれど、自分自身の本質は全然つかんでいないみたいな、自分が何に苦しんでいるかは全然自覚できていないみたいなキャラクターになっていた。恋人のみいとの関係でも、もう一歩踏み込むのか踏み込まないのかを決めかねている、でもなんで自分が決めかねているのかは分かってないし分かろうともしていないやつ、そういう風に彼を描いた。毬井と接している時にも、たぶん武田は毬井の言っていることを言葉としては十分に理解しているんだけれど、決して我が事として毬井と問題を共有しているわけじゃない。距離をおいて毬井を眺めているという姿勢になってるんだよね。でも、存外、眺めていただけのはずの毬井から影響を受けてしまったりして……というような様相を初演では描いていた。リライトするならその先、武田がどういうふうに毬井のことを思っているのか、武田から見た毬井というのはどういう存在か、というのをもう少しだけ描けたらいいなと思う。或る種の責任感みたいなもの……そこから毬井と武田の対比が浮き彫りになって、毬井の選ばなかった道を武田が歩んでいくというふうになるんじゃないかな……。実際、どうなるかはまだ分かりませんけれどね(笑)
◆◆◆ロングラン&ツアー公演という形態◆◆◆
───次に、今回『ぬれぎぬ』の時と同様にロングランという公演形態を選んだことについて話をうかがいたいです。
広田:そうですね。ロングランと言っても変なロングランですけれども……。
───東京で二ヵ所でやって、そのあとすぐに仙台、大阪を回る。
広田:ロングランをやろうと思ったのは、お客様への間口を広げたいということももちろんあるんだけど、一番大きいのは芸術的な理由です。来年以降のアマヤドリの計画を考えるにあたって、もっと僕らの創作活動が社会とつながっていかなきゃならないんじゃないかということを今すごく感じているんですけれど、その前段階として、そもそも自分たちが良いクリエイションができる集団になっていなくちゃならない。そのためにどうしてもこのメンバーでロングランをやっておきたかったんです。俳優個人個人にとっては、やっぱり本番を長期間やることによって獲得できる成果がすごく大きいということもあるんです。それは『ぬれぎぬ』の時に僕ら全員が思ったことでした。『ぬれぎぬ』自体は、興行としても普通に成功と言えるものでしたが、内部の俳優たちにとって非常に評判が良かった。ロングランをすると、俳優たちが現時点でやれるところの行き止まりまで到達した上で、さらにその先に踏み出すということができるんです。たとえば始まって大分経ってから中村〔早香〕の演技を大きく変えたし……榊〔菜津美〕については、終盤になってから急にダメ出しが増えたりしてね。そうそう、榊というのはすごく要領がいい女優なんですよ、こっちの言うことを理解するのもすごく速いし、自分が舞台上で何を求められているのかを察する力もある。だから彼女は短期の公演の稽古ではあまり演出家が文句を言う必要のない、言ってみれば手の掛からない俳優だったんですけどね。でも、『ぬれぎぬ』の時は長期間やっているうちに榊の限界というようなものが見えてきて、それをどう越えていくかという課題を得たというのは、彼女にとって非常に意味のあることだったと思うんです。
───『ぬれぎぬ』に参加した方が数名キャストから外れているというのも、そういう意味合いからでしょうか。
広田:んー、それは図らずもそうなっただけなんですけどね(笑) 松下仁なんかはもうちょっと休む期間が続くし。でもこれが新人たちにとってすごくいいチャンスだということは間違いない。とても意味のある時間になるでしょうね。やっぱり俳優はお客さんの前に立たないことには絶対に上手くならないですから。
───沼田星麻さん〔※3月24〜28日にミクニヤナイハラプロジェクト『東京ノート』に出演〕はかなりタイトなスケジュールで参加することになりますが。
広田:彼も一度は『ロクな死にかた』には出ないという話になっていたんだけれど、無理矢理、僕の意向で押し切った感じです。ロングラン&ツアーという長期の公演に沼田が出ないなら他の誰かを客演で呼ぶことになるわけですが……その期間沼田が空いているんだったら、やはり客演のひとよりは沼田と一緒にやる方がアマヤドリの今後につながっていくはずだという考えですね。
───今回の座組でやるということがロングラン&ツアーを組んだ動機の一つでもあるんですね。
広田:そう。去年から今年を通じてはもう一度劇団を新たに作り直しているという意識が強いですね。そして来年以降は、「僕らアマヤドリはこういう力を持った集団だ」というところからどうやって社会とつながっていけるのか、それを具体的に進めていければいいなと思っている。
───「社会とつながっていく」というのは。
広田:まあ、漠然とした言い方になってしまっているとは思うんですが……。なんでしょう……今まで語ったことからも分かるとおり、僕は演劇を作る上で集団を非常に重要なものとして考えているんです。劇団へのこだわりがある。……だからこそ、その内部だけで演劇の言葉を回していてもしょうがない。劇団という場所を社会に対しての安全圏にしてしまってはいけないとも思っているんです。こうやって劇団を運営して公演をやるということを通じて劇団内・演劇内で熟成させてきたものを、ちゃんと外部に開いていく、そのためのさまざまな回路を持ちたいと思っているんです。逆説的な話ですが、そうしないと劇団内の密度が上がっていかないんじゃないかという危機感があるんです。たとえば演劇をやらない、演劇外のひとたちからすれば僕らは演劇のプロということになるわけだから、そのひとたちに対して演劇について語ったり何かを教えたりというときに「いや、わたしはあまり演劇のことはよく分からないんで」と言うことはできない。そういった場所でこそ自分たちがやっていることは何なのかという自覚が鍛えられる。プロフェッショナルとして力が足りているか足りていないかということも分かる。或いは思いもよらなかった自分たちのやっていることの価値を見出したりすることもできるかもしれない。……去年アマヤドリで社会人に向けたワークショップを実施したり、別ジャンルの奇術愛好会の方々に出張ワークショップをしたりというのも、一応そういう志向の端緒のつもりでやっています。まだまだ今年は公演に、目下はロングランに集中するという時ですが、「社会とつながる」ということは常に積極的に考えていきたいと思っています。
───分かりました。あとは、五月のツアー公演についても一言お願いします。
広田:仙台も大阪も前々から行きたいと思っていた場所です。今後を見据えても、福岡などと同様に継続的に行きたいと思っている場所でもある。大阪は特に、僕は今までの人生でほとんど行ったことが無くて、当然知り合いもいなくて馴染みのない土地なんですが、演劇をやりたいという人が元々すごく多い場所なんだろうし、地域としてのポテンシャルは非常に高いものがあると思うんです。なので、ツアーというかたちで今回かかわりを持てるのを楽しみにしています。
(インタヴューのつづき、再演にあたっての新演出の意図や配役裏話などは、公演パンフレットの方に掲載予定です!)
*アマヤドリ 春のロングラン&ツアー公演『ロクな死にかた』公演詳細はコチラ