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『崩れる』出演者 – 望月馬木人

 

静岡県出身、1995年生まれ。

今年(2021年)の4月に勤めていた会社を辞め、芝居の道に。
「自分にとっての“生きる”とは何か?」のヒントが、芝居の中にある気がしている。

 

 

Interview

  ───劇団員プロフィールを拝読するに、望月さんはもう六年ほど演劇をやってらっしゃることになるのでしょうか。

 

望月 そうですね。演劇は大学からで、今僕は大学を卒業して四年目になるので、七年ぐらいやっていることになると思います。

  ───演劇をはじめるに当たって、何かきっかけだったのでしょう。

 

望月 僕は静岡出身で、高校までは静岡だったんですけれど、その当時お付き合いしていた恋人に対して、自分が釣り合ってないんじゃないかって、勝手に思っていたんですね(笑) それで恋人のために名をあげよう、みたいなことを急に考えて、何をやって名をあげようかって検討したときに、「そうだ、役者をやろう」と思い付いたことが演劇をはじめたきっかけでした。僕は寺社とか、日本文化が好きで、京都に住みたくて元々京都の大学を志望していたんですが、「役者をやるんだったら東京の方がいいんだろうな」と考え直して志望先まで変えたりしています(笑)

  ───あまり聞いたことのないきっかけですね(笑) 観劇をしたりっていう経験も、それまではなかったんですか

 

望月 なかったです。そのときまではまったく演劇経験がなくて、芝居関係の大学や専門学校へ進むっていうのは自分としても現実感がなくて、大学は大学として学問をやる場所として普通に入学しつつ、大学の学生劇団に参加することから演劇活動をはじめました。

  ───大学での専攻は文学関係でしたか

 

望月 そうですね、国文科で。平安文学の、『源氏物語』の研究をしていました。

  ───それでもずっと役者になるという野望は望月さんのなかでつづいていたんですね

 

望月 ええ。まあきっかけになった恋人とも遠距離恋愛の末に別れて、みたいなこともあって、恋人のためという当初の下心的なことはなくなったんですけれど、純粋に芝居自体が面白くなって演劇活動はつづけていました。それで、僕は大学卒業して一旦企業に就職しているのですが、その間も会社員同士の座組で演劇をやっていました。土日に稽古をし、有給を取って小屋入りして……という形態で三年ぐらいつづけて。そして今年の四月に会社を辞めて今に至ります。

  ───望月さんがアマヤドリに接近するきっかけというのはどういったものだったのでしょう

 

望月 僕、大学は広田さんと同じ東大なんですけれど、参加した劇団も広田さんがかつて在籍していたTheatre MERCURYという演劇サークルで、そこで広田さんがOBとしてワークショップをやってくださるということがあって、アマヤドリのことを知ったのは、そのときです。ですから演劇をはじめて結構早い段階でアマヤドリには出会っていて、もちろん観劇もしていますし、アマヤドリのワークショップにもその頃から参加していました。加えて、広田さんって、ツイッターでよく演技についてのご自身の考えをつぶやくじゃないですか。あれを読んで、共感したり、新たに気づかされたり、そしてそれらがとにかく言語化されているということ自体にも驚嘆して、さらに広田さんに関心を持つようになったという経緯です。

  ───広田さんのツイートに興味を持たれたのでしたら、望月さんの根っこにも、やはりリアリズムの演技への志向あるのだろうと思います。現時点での、俳優としての望月さんの演技観というのを伺ってみてもよろしいでしょうか

 

望月 現時点ですか? 今いくつか自分にとっての課題というか、目指している方向性というのはあるんですけれど、一番大事にしているのは、スタニスラフスキー先生が言うところの「交流」です。俳優同士の交流はもちろん、舞台上と客席との交流も含めて。というのは、僕のなかでは「自分にとっての生きるとは何なのか?」という問題がずっと引っ掛かっていて、芝居と関係なく昔からそれを断続的に考えてきたんですが、その問題に対する暫定的な答えとして、「人は人と繋がることを求めて生きているんじゃないか」という感覚が今はあるんですよ。でも一方で、人と繋がることを求めつつ、僕自身はとても人見知りだったりもして、単に知り合いだとか会ってご飯を食べたり話をしたりするだけではなく、心で裸の付き合いをする、むき出しの自分をさらけ出し合うみたいなことに対しての気後れが僕にはあって、実際には、なかなかそういうことができない。できないんですが、でも、それが芝居の場では、必要とされる。芝居の登場人物たちは傷つけ合ったり、愛し合ったりということを、日常よりも深いレベルで行う。虚構という装置を借りて、俳優同士が、或いは俳優とお客さんが、相互的な状態にあって、互いに相手を動かし動かされるというようなことが起こる。そういう「交流」が、僕にとっての「生きる」ことにかかわってくるんじゃないか、という想いがあって。もちろんそれは怖い作業ですし、頭で分かっていてもついそこから逃げていたりする自分を日々叱咤激励しながら取り組んでいるのですが、理想としてはそれが一番大事したいことで、僕が会社を辞めてまで芝居をやろうと志した所以でもあります。

 こういう言い方が正確かは分かりませんが……調子の良いときは、やっぱり人と人として喋れているな、という感覚があるんです。役というフィルターが一枚あって、自分そのものではない状態で舞台には上がっていますけれど、演じているのはやはり生身の私であって、その生身の部分で実際にコミュニケーションを取っているというような感覚が。それは日常の雑談などでは得られない、何と言いますか……僕個人にとっては「癒し」に近い感覚で、さらには、人間の生身をさらけ出している私ーそれを観ているお客さん、も繋がっていると感じることもあって、人がわざわざ生の舞台を観に行くのはその繋がりを通じて観客自身も癒されるからなのでは、と思ったり…僕は演劇のそこに何かを求めているんじゃないかなと考えています。

 

───その人と人としての交流というものを、いかに望月さんが舞台上で体現してくださるのか、刮目したいと思います

 

アマヤドリ 20周年記念公演 第一弾

『崩れる』

 作・演出 広田淳一

2021年 11月4日(木)~8日(月)
@シアター風姿花伝(東京公演)
2021年 11月13日(土)

@パティオ池鯉鮒・知立市文化会館│花しょうぶホール(愛知公演)

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