東京都出身、1990年生まれ。 2014年より広田淳一の主催する劇団「アマヤドリ」に所属。 |
Interview
沼田 『ぬれぎぬ』の話だと、珍しく、あれで自分が演じた門田という役は、自分のパーソナリティからは遠い役でしたね。最初は自分が門田をやるとは思っていなかったくらいで。
───ワタナベさんもおっしゃっていましたが(http://amayadori.co.jp/archives/20691)、観る側としても、沼田さんのあの役は非常に印象に残るものだったと思います。 |
沼田 自分で言うのは何ですけれど、あの門田という役には手応えはありました。終わったあとから振り返って、これがポイントだったなということ、そして今後も演劇やっていく上で大事にした方がいいんだろうなと自分が思ったことは、「勝手なこだわりを作ること」。戯曲にもとくに明確には書かれてはいないし、演出家からもべつに指示されているわけではないんだけれども、「俺はこの役をこうしたい」っていう意識をひそかに抱いておくんです。誰にも言わないで。台本の流れとしてはこうだけれど、でも、俺は門田をこう演じたい、こういうふうに見せたいっていうのを、ひそかに持っておく。そういうこだわりを持っておくってことが、いろいろやる上で軸になり易かったんですよね。
───すごく能動的に戯曲を読み込むという感じでしょうか。敢えて独創的に読むというか。 |
沼田 そう、勝手な解釈みたいなものを、一つ持っておいて、どのシーンでもそれが流れているというふうに意識することが、いろんなことを判断する上で良い方向につながっていったんじゃないかと思います。
───そのような「勝手なこだわりを作る」ということは、『生きてる風』でも実践されていたんですか。 |
沼田 そうですね。『生きてる風』で自分がやった役にも、門田からの連続性というのはありました。門田という役が面白いのは、彼って、すごく言語の意味について細かい人物だったんですよ。自分と比較して、それこそ「俺自身はこの門田ほどに言葉の意味について考えてきただろうか?」って反省するくらいに。門田のように、ここまで言葉の意味の論理性みたいなものを自分のなかで徹底することができるんだ、っていう驚きがまずあって、そのこと、つまり言葉の意味に細かくこだわるということは、べつに門田以外の、他の戯曲の役でもやっていいことだなと気づいて、それが『生きてる風』でも良い意味でつづいていたと思います。最後の、〔西川〕康太郎さんと言い争いになるくだりでも、以前だったらデカい声を出したり、ということに頼っていたと思いますが、あのときは言葉の意味合いだけで康太郎さんと対峙して舞台に立てたな、その場で発生する議論の意味にこだわって芝居をつづけられたな、と実感しています。
───さっきのお話からすると、それに加えて、『生きてる風』で演じられた役の独自の解釈、というようなものもひそかに抱いていたのでしょうか。 |
沼田 ええ。自分の身内に起こったできごとで、実際あの役を関連づけられるようなこともあって、それを勝手な要素として盛り込むということはしていましたね。台詞にも出していないし、態度にも出していないんだけれど、あの岡野譲という役が内部で考えていることを、結構ひそかに付け加えてやってました。
───なるほど。まとめると、『ぬれぎぬ』『生きてる風』を経て、沼田さんには、一つは言葉の意味に細かく焦点化して戯曲を読んでいくことと、そしてもう一つ、ひそかな役の独自解釈をこだわりとして抱いておくことというアプローチの収穫があり、その上で、今回の『崩れる』再演に臨む……ということになるでしょうか。 |
沼田 そうですね。久しぶりに『崩れる』を読んでみて、登場人物たちの関係についてはあらためて考え直せるな、っていう感覚を持っています。書かれてはいないけれどこういう要素はあるな、っていうのを役について少しずつ探っていく、そしてそれが軸になっていきそうだなという予感はしています。初演のときは全然考えていなかったことなんですけれども。それに、元々『崩れる』というこの戯曲自体が複雑ですし。細かく読み込む余地のある、いくらでも解釈のしようのある細部の多い戯曲で。やっていて、「あ、こんなふうにも芝居ってできるんだな」っていう発見がたくさんあって面白いです。
───やりようによってかなり変わる戯曲だと思うので、初演につづいての出演の沼田さんがどのようなものを見せてくれるのか、期待していたいと思います。 |
アマヤドリ 20周年記念公演 第一弾
『崩れる』
作・演出 広田淳一
2021年 11月4日(木)~8日(月) |
@シアター風姿花伝(東京公演) |
2021年 11月13日(土) |
@パティオ池鯉鮒・知立市文化会館│花しょうぶホール(愛知公演) |
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