広田淳一、語る。#08

 

主宰・広田淳一が今現在考えていることを
語り下ろしで記事にするインタビュー企画です。
第八回は、東京初演『ブタに真珠の首飾り』について。

(※上演内容についての若干のネタバレを含みます)

 

 

 

女性の四人関係

 

  ───広田さんにインタビューする連続企画の、第八回目です。現在上演中のアマヤドリ二本立て公演の片方、過去に仙台・伊丹・新潟で上演され東京では今回が初上演となる『ブタに真珠の首飾り』について、お話をうかがっていきます。

 

広田 よろしくお願いします。

 

  ───まず最初に。『ブタに真珠の首飾り』は公式サイトで戯曲が公開されていますが、内容からして、できれば前情報なしで観た方がよい作品だと思うので、以下ではあまり根幹のネタバレには触れずにいきます。とはいえ一応言及しておくと、本作は、「登場人物が女性四人のみの結婚式の控室を舞台とした会話劇」という外枠から連想されるイメージにはおさまらない、一筋縄ではいかない作品です。

 

広田 まあ、ネタバレについては、話の流れのなかで出てくる分にはかまわないと思いますけれども。

 

  ───とりあえず外枠だけ見ると、登場人物が四人の女性のみで、女性同士の会話だけで話が進むというのが、『ブタに真珠の首飾り』の第一の特徴になると思うので、その点についてお訊きします。広田さんは男性作家なわけですが、女性同士の会話を書くのにハードルの高さというのは感じますか?

 

広田 その点については、実は、僕に苦手意識は全然ないんですね。自分の育った家庭環境というのが、姉と妹に囲まれて、母親はいるけれど父親はほとんど家にいないという環境だったので、家がずっと女子会みたいな感じだったんですよ。子供の頃からかしましい女性たちのあいだに交じって喋ることが当たり前のことになっていた。だから、もともと苦手意識というのはありませんが、『ブタに真珠の首飾り』を書いた当時は、むしろ、その慣れについて警戒しなければならないと思っていたかもしれない。姉と妹に挟まれて、女性の会話についてよく知っているような気になっているけれど、それはあくまで男性の僕がその場にいる上での女性の会話にすぎなかったのだから、本当に純粋な女性同士の会話というのはまた質が違うんじゃないか、もっと何かあるんじゃないかなと思って、女性同士の会話を頑張って想像して一生懸命書いてみようとしていましたね。

 

 

───『ブタに真珠の首飾り』に出てくる女性同士の会話というのは、明確な役割や立場を持たない、分かりやすいキャラクター性もない、ほぼフラットな知人同士という間柄で、演じる俳優の方と等身大に近い女性による会話なので、より書くのが難しくなっていると感じます。さらに、「四」人という数が難度を高めていると考えます。

 

広田 というと?

 

  ───同性同士のフラットな四人というのは、異性愛のカップリングはもちろん、一対一の敵対関係や二対一の三角関係(競合関係)や一対多の権力関係といった、ドラマに昇華しやすい関係性にならないということです。したがって登場人物も対抗心や愛憎といった心理で動いているのではなく、四人のあいだにまったく別のドラマの力学が働いていると考えられます。そこでその力学を、便宜的に無理やり図式化してみました。          

         想像力多
           ↑
     涼花    │   明日花
           │
 行動力多 ←────┼────→ 行動力少
           │
     琴水    │   美海
           ↓
         想像力少

     行動力少+想像力少 美海
     行動力少+想像力多 明日歌
     行動力多+想像力少 琴水
     行動力多+想像力多 涼花

 

広田 何だこれは(笑)

 

  ───フラットな同性四人組の対照性について、行動力の多い/少ない、想像力の多い/少ないという二つの尺度を取って四象限に布置してみました。ざっと説明すると……行動力が少なく想像力も少ない〈美海〉は、まわりから超然として若干空気が読めず、自分では意図せずにいつの間にかトラブルメーカーになっていたりします。行動力が少なく想像力が多い〈明日歌〉は、気が回りますが引っ込み思案で、追い詰められると爆発してしまったりもする。行動力が多くて想像力が少ない〈琴水〉は、内省を欠いた軽率で思い切りのよい言動で場を引っ掻き回します。行動力が多く想像力も多い〈涼花〉は、作中最も演劇的な人物で、物語の中核になるような情動を担います。[*註]

 こんな分類をして何になるかというと、つまり、フラットな同性四人のつながりのなかで、登場人物の行動を決定し、物語を展開させる動因は、二者関係や三角関係から生まれる動因とはまた違った絡み合いなのではないか、ということを示したいわけです。キャラ設定、立場、役割、性格類型、といったことから演繹されるのとは別の関係性の緊張によって、『ブタに真珠の首飾り』の物語は動いているように読めます。

 

広田 さすがにそこまで抽象的に捉えてはいなかったですが、そうだなあ……『ブタに真珠の首飾り』執筆時の作り方として、今おっしゃったことに近いところがあったとしたら、美海、明日歌、琴水、涼花の四人の描き分けをブレさせないようにしようということは、徹底していました。例えば、当時、戯曲の執筆とは別に、この女子四人の会議みたいなものを、並行して色々書いていたんですよ。各々が言いそうなこと、明日歌だったら明日歌が言いそうなことは何だろう、涼花だったら涼花が言いそうなことは何だろう、って頑張って考えて、この人はこういう人だっていうのを自分に馴染ませるために練習していた。なんか当時は気力が充実していて、深夜のファミレスに日々通って、そこであーでもないこーでもないとずっと四人の会話を書いていました。そうして書いた文章から戯曲に採用されたものはほとんどないですが、それが部分的に根っこになったシーンというのはあります。

 

 

  ───その、美海、明日歌、琴水、涼花の描き分けができたかどうかという基準は、おそらく、表面的な設定に由来することではないですよね。琴水がバツイチだったり、涼花が東京住みだったりということは決め手にはなっていないと思います。

 

広田 そうそう。実際の人間だったら、例えばこの場に松下仁くんがいたらこういうことを言うんじゃないかな、っていうのは結構イメージできると思うんですけど、なぜそう想像できるのかということに合理的な説明を求められると、困ってしまう。困ってしまうんですが、やはり何らかの松下くん固有のイメージはあるわけです。それと同様に、『ブタに真珠の首飾り』の四人についても、「この人ならこういうこと言いそうだな」って自分のなかで勝手にイメージが作られるまで、ずっと練習をしてたんでしょうね。今思うと、それ考える必要あった?っていうような登場人物の裏設定もちょこちょこ考えてました。

 

  ─── 裏設定?

 

広田 えーと(創作メモのファイルを開く)、涼花はもっと若い頃にはメンヘラぽかった、人間関係に悩んでリストカットをしたのを美海に叱られて立ち直ったことがある、とか……

 

  ───!?

 

広田 涼花の趣味はコスプレ。バンドはくるりとかを聞いているはず。琴水は美海の結婚式にも呼ばれている。琴水は「人間は自立しているべきだが、孤立するべきじゃない」と考えている。美海は占いが好き。風水とか気にする。美海は母校とは別の学校でダンス部のコーチをしている。明日歌は実は薬学部所属。ダンサーになるか薬剤師になるかで悩んでいた。明日歌は「いい子」でいる自分を自覚して以降、「いい子」にならないよう自分で自分に反発している。……もうほとんど忘れていますが色々考えていたみたいですね。

 

  ───キャラ設定というよりは、登場人物のイメージが自律して動き出すための素材をこね回していたという感じでしょうか。

 

広田 たぶんそうだね。また、もっと言うと、初演のキャストの人が登場人物のイメージを作るインスピレーションに当然なっているんだけれど、それ以外に、自分が人生で出会ってきた、会話してきた、或いは直接は知らなくても間接的に強烈に印象に残っている幾人かの女性の記憶も交え、四人に割り振ってそれぞれの人物を造形したところもあった。現実のモデルを一人に絞ってしまうと、想像力が広がらないだろうという危惧があったんだと思う。そういうことを細かく考えながら書いてましたね。

 

  ───そうした工夫によって、『ブタに真珠の首飾り』は、男性作家が女性しか登場しない戯曲を書くという違和感が少なくなっているのだろうと思います。

 

[*註]この四象限による物語の関係性の分析は精神科医・斎藤環氏の評論『関係の化学としての文学』に由来。

 

 

 

中心にある不在の出来事

 

  ───第二に、外枠からすると舞台が結婚式場の控室だということが、『ブタに真珠の首飾り』の際立った特徴だと言えます。作品に伏在しているモティーフからすると、舞台に結婚式が選ばれていることは、異様に思えます。

 

広田 伏在しているモティーフというのは、舞台に出てこない、亜矢という人物の家族のことですよね。今までも、とくに『すばらしい日だ金がいる』といった過去作において、水面下にはあったモティーフですが。

 

  ───そのモティーフと結婚式場という舞台は、通常はつながらないと思います。なんだろう……できるだけネバタレにならないよう遠回りしてお訊きしますが……広田さんのなかに、亜矢の家族のドラマにすべきではないという直観があったのでしょうか?

 

広田 あったんでしょうね。亜矢の、すなわち当事者のドラマにしてしまうと、あまりに切実で、距離感の掴みがたい話になってしまうし、そこから連想される舞台空間というのも、病院のような日常からは隔離された空間になるという予感があった。でも、実際には──僕の見聞するかぎりでは──亜矢のような家族であっても、勝手に見えない場所に隔離されているなんてことはないし、周りが先入観で不幸だと思っていても、当人はそれを冗談にしてみたり、日の当たる場所に出て、わりと外にもつながっていくし、そのことを楽しんでいたりということもあるんですよ。だから亜矢のような家族が外につながっていく、その最たる場所として、結婚式場というのを舞台に選んだのだと思う。最後の琴水のような発言が許される場所として。時系列でいうと大分遅れて結婚式を挙げていることになるので若干不自然なんですけれど。

 亜矢本人の話ではなく、その周囲の女性四人の話になっているのも、同様の考えからの選択だったと思います。初演時のキャストも含め、結婚や出産に関する気後れや憧れや、複雑な想い等について色んな女性にヒアリングをしてみて、このモティーフを社会化するきっかけをもらったのだと顧みます。

 

 

  ───私としては、本作のモティーフになっている出来事は、「なぜこういうことになったのか」という理由を問えない、確率的に起こる、因果の連鎖がそこで断ち切られてしまうような出来事なので、例えば初演時に並行して創作していたイプセンの『野がも』みたいに、心理的葛藤が行動につながり、それが玉突き事故的に新たな行動を生む……といった因果性のドラマにはそもそも乗らないものなのだと考えます。だから、因果関係ではなく、先述のように、同性四人の関係性の力学だけで話を進めるような展開になったのだと。

 

広田 プロットとしては、誰が口火を切ってその話題に入るのかをうかがっているだけですしね。通常のドラマにしにくいというのは分かっていたんですが……このモティーフはいつか書きたいと思っていたんです。まあ、単なる作家の欲望だと言ってしまえばそれまでなのですが。

 

  ───一つ訊きたいことがあります。最後近くで、涼花がかなり生硬な問いを発します。あれはどのような感覚で書かれたものなのでしょうか。私自身にもそれなりの解釈はありますが、お訊きしておきたいと思います。

 

広田 その問いに対しては、美海が言うように、保険や行政支援のような、きわめて現実的な「答え」はあるのですが、そして、そのような一般的な答えも必要なことなんですが、たぶん……その現実的な対応っていうのは、「彼」の世界がどういうものなのか、「彼」の世界とこの世界の境がどうなっているか、原則的に想像しないことによって成り立っているのだと思う。でも、社会的な支援といったことを抜きに、仮に、「彼」とたった二人きりで向き合ったとき、「彼」の世界って一体何なんだという想像力を持たざるをえなくなるんじゃないか、と……。もちろん容易に想像できることではないんだけれど、「彼」の世界とこの世界の断絶を前にして、踏みとどまっている時間が必要なんじゃないか、と……。その時間が必要だという予感だけがあったと思います。そこで引っ掛かっておかないと、元も子もなくなるというような、予感。それで何になるということではないし、せっかく生まれていた一つの流れを中断するようなかたちで入ってくる問いのわりには、もう一盛り上がりするということもないので、戯曲として不恰好にはなってしまっているんですが。

 

  ───美海の答えはもちろん、その後の琴水の言うことも、答えにはなっていないということだろうと思います。

 

 

 

今回のキャストについて

 

  ───『ブタに…』の四人の登場人物は、初演時のキャストのイメージも部分的にありつつ造形されたとのことですが、今回のキャストでやる上での難しさというのはありましたか。初演では琴水役だった相葉りこさんが美海役に変わっているという点も目を惹きます。

 

広田 たしかに2018年の初演時のりこさんの琴水というのはハマり役で、今回もやってもらう可能性を検討はしましたが、配役については、結構早い段階から明確だったかもしれない。美海という役が、やはり難しいんですね。例えば後半の美海と明日歌のシーンで、美海がすごく嫌なやつのように見えてしまいかねないのを、どうバランスを取るか、とか。明日歌をいじめているわけではないんだけれど、もちろん美海がただの善意で言っているのでもない、そのバランスをどう見出すか。それと、戯曲上彼女が亜矢からも涼花からも頼られる人という位置に置かれますから、放っておいても美海が頼りがいがある人に見えてこなければならないんだけれど、その感じも含め、初演の琴水がよくやってくれたと思います。

 

  ───美海と明日歌のシーンというのは、上司と部下という役割を超えた関係性があらわになるシーンだと思います。それによって四人の描き分け、四人関係における美海の布置がさらに明かされる。その後のシーンに対する因果性は薄いシーンではありますが。

 

広田 あそこはすれ違いの感覚かな。たぶん上司の美海の方が部下の明日歌のことを好きなんだけれど、明日歌の方は美海をリスペクトはしていても、個人的に美海に対する想いはないので、上司の方が強い、部下の方が弱いという関係とは裏腹に、美海の方が傷つきやすい状況になっている。微妙なバランスの関係が露呈しているシーンなのはたしかですね。ともあれ、美海役のりこさん、明日歌役の葦原梨華さん、涼花役の夏沢リカさん、琴水役の石田裕子さんという配役はかなり早い段階で決めました。この四人の折り合いは気に入っています。

 

  ───ということは、或る程度『ブタに真珠の首飾り』の座組を組んだ段階から勝算があったということですか。

 

広田 いや、そんなことはない。もちろんりこさんや夏沢リカさん〔2019年8月の新潟公演において琴水役〕といった経験者を入れているところから、事前に成立の見込みを計算してはいるんですが、それだけでなく、これは若干内輪の話になってしまいますが、りこさんの貢献が非常に大きかったです。予想をはるかに超えて座組を支えてくれました。

 

  ───それは、難しい美海役を担ったということだけではなく?

 

広田 違います。アマヤドリの現場では、劇団員が──そして今回『生きている風』の座組であれば常連客演の西川康太郎くんや元劇団員の松下仁くんもそうですが──「稽古ではこれくらい準備して、これくらいの水準のものを見せましょう」というのを体現し、その圧で座組全体を引っ張って稽古の質を維持してくれるということが起こりますが、『ブタに真珠の首飾り』の座組では、その役目をりこさんが一手に引き受けてくれたということです。険悪な空気にせず、ポジティヴな姿勢で、自ら率先してリーダーシップを執って。それは、元々権力のある演出家がリーダーシップを執るということより、よほど大変なことだったと思います。とりわけ女性の集団のなかでリーダーシップを執るというのは、本当に難しいと思う。単純に性差に還元できることでもないかもしれませんが、やはり、男性の集団のなかでリーダーシップを執ることより、女性の集団のなかでリーダーシップを執ることの方が気を遣わなければならないことが多そうだと感じる。きわめて高い気遣いの能力が求められる。リーダーとして、今回本当にりこさんが色々なことをやってくれたので、彼女にはお礼を言わなければならないですね。

 もちろんりこさんだけでなく、今回の公演をやるにあたっては、多くの人が支えてくださって、みなさんにお礼を言いたいです。これは僕自身の勝手な予想ですが、二〇周年を迎えたアマヤドリが、これから面白い時期に入っていきそうだなという予感もある。そんなアマヤドリの現在を、劇場ないし配信で目撃していただけたら幸いです。

 

(舞台写真:赤坂久美)

 


 

 

アマヤドリ 東京初演&新作本公演

『生きてる風』/『ブタに真珠の首飾り』

作・演出 広田淳一

2021年3月18日(木)〜3月28日(日)@シアター風姿花伝

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